85歳になって初めて分かった『人生の整理をすることで見えてくる5つの宝物』|老後の準備
じじ宝物って何孫の純心な瞳に見つめられ た時私は言葉に詰まってしまいました85 年間生きてきて本当の宝物が何なのか実は 分かっていなかったのです皆さん こんにちは私は今年85歳になります田中 と申します実は私この年になっても将来の ことが不安で不安で仕方がない85歳でし た夜中に目が覚めてこのまま1人で大丈夫 だろうか家族に迷惑をかけないだろうかと 考えては心臓がドキドキして眠れなくなる そんな情けない毎日を送っていたのです ところが52年連れった妻を突然なくして 嫌でも人生の整理と向き合わざるを得なく なりましたそしてその整理を始めた時に 起きたことは私の想像をはかに超えるもの でした人生を整理することで生きることが こんなにも輝いて見えるようになるなんて 人生の最後にこんな素晴らしい宝物が隠さ れていたなんて今日はそんな私が発見した 5つの宝物についてお話しさせていただき ますきっと皆さんにとっても人生を 見つめ直す大切なきっかけになると思い ます私は7年小学校で教師をしておりまし た40年間たくさんの子供たちと接取して きて例年後妻と2人で小さな家庭祭園を 営みながら穏やかな老を過ごしていました ところが3年前の春桜が咲き始めた頃の ことです妻が朝の掃除をしている時に突然 胸が痛いと言って倒れてしまいました救急 車で病院に運ばれましたが真金高速でその まま天国へと旅立ってしまったのです52 年間連れそった妻でしたいつも私より先に 起きて朝ご飯の準備をしてくれていたつが 庭の花を目で近所の方々とお茶を飲み ながら楽しそうにおしりをしていたつが その妻があまりにも突然にいなくなって しまいました葬儀が終わってきになった時 私は初めて自分の将来について真剣に 考えるようになりました妻のように私も いつか突然この世よ去かもしれないでも私 は何の準備もしていないそう思った時不安 で胸がいっぱいになりましたでも同時に このままではいけないという気持ちも芽え たのです最初に始めたのはエンディング ノートを書くことでした初店で就活の コーナーを見つけて恥ずかしそうに エンディングノートを手に取りました家に 帰っていざ書こうとしたのですがこれが 思いの他難しい財産についてという項目が あるのですが大した財産もない家族への メッセージというLがあるのですが何を 書いていいのかわからない結局その日は 名前と住所だけ書いてノートを閉じて しまいましたそれから数日後また開いてみ ましたがやはり手が止まってしまう実は そのエンディングノートを3回も買い直し たんですかけずに放り出してまた新しい ものを買ってまた挫折して割れながら 情けない話です4回目に買った エンディングノートを前に私は思い切って 長男に相談してみました実は最近将来の ことを整理しようと思ってエンディング ノートを買ったんだすると長男は驚いた ような顔をして言いましたお父さんまだ 早いよそんな心配ばかりしないで私は 苦笑いをしながら答えましたでもお母さん のこともあるしいつ何があるか分からない からね長男は少し考えてからこう言いまし たそれなら1人で悩まないで家族みんなで 一緒に考えようお父さんが何を大切に思っ ているのか僕たちも知りたいしその言葉に 私はハッとしました人生の整理は決して 1人で抱え込むものではない家族と一緒に 人生を振り返り大切なものを確認する作業 なのかもしれないそう思った時から私の 人生の整理は全く違う意味を持つように なったのです不安や心配から始まった準備 がいつの間にか人生の宝物探しになってい ましたそしてその宝物探しの中で私は5つ の本当に大切なものを見つけることができ ましたこれからその宝物について1つずつ お話しさせていただきますきっと皆さんも ご自分の人生の中に同じような宝物が眠っ ていることに気づかれると思いますさて皆 さん私が人生の整理と向き合うようになっ て気づいたことがありますそれは私たちの 世代と今の世代では人生の終わり方という ものに対する感覚が全く違うということ です私は昭和14年1939年の生まれ です物心ついた頃には猛戦争が始まってい ました当時子供だった私にとって別れは とても身近なものでした毎日のように空習 警報がなり暴空号に避難する日々近所の おじさんが出世してそのまま帰ってこ なかった友達のお父さんが戦地で亡くなっ たという知らせを受けてお母さんが 泣き崩れている姿を見たそんな光景が子供 の私にとっては日常だったのです特に忘れ られないのは私の父のことです父は昭和 20年の春フィリピンで戦死しました私が 6歳の時でしたその時母は私にこう言い ましたお父さんは国のために立派に戦って お星様になられたのよいつか私たちも お父さんのところへ行くことになるから それまで頑張っていきましょうね当時の私 には母の言葉の意味が完全には理解でき ませんでしたでも人生には必ず終わりが 来るということとそれまでの時間を大切に することの重要性はなんとなく分かってい ました戦争が終わって平和な時代になって からも医療技術は今ほど発達していません でした風をこじらせて重得になる人も 珍しくありませんでしたし今なら治る病気 で展示を全倒する人もたくさんいました私 が子供の頃近所のおばあさんが病気で 寝込んでいる時家族が集まって最後を 見取る光景をよく見かけました病院では なく自宅で家族に囲まれて静かに旅立って いくそれが普通のことだったのですだから でしょうか私たちの世代にとって人生の 終わりは生活の一部としてご自然に存在し ていました悲しくないわけではありません が特別に避けて通るものでもないいつか 必ず来るものとして心のどこかで受け入れ ていたのですところが時代が進むにつれて 人生の終わりは私たちの日常から遠い存在 になっていきました医療技術の進歩で多く の病気が治るようになりました平均寿命も 大幅に伸びて80歳90歳まで生きること が珍しくなくなりましたそれは素晴らしい ことです私も85歳まで元気に生きること ができて本当にありがたいと思っています でもその一方で人生の終わりについて考え たり話したりすることがタブーのように なってしまいました演技でもないまだ早い そんな暗い話はやめましょうそんな言葉で 将来への準備の話題は避けられるように なったのです私自身も長い間そうでした妻 と老の話をする時もまだまだ元気だから 大丈夫そんな先のことは考えなくてもと 言って具体的な準備を先延ばしにしてい ましたその付けが妻の突然の旅立ちで一気 に回ってきたのです何の準備もしてい なかった私は葬儀の手配から始まって様々 な手続きに追われて妻を忍ぶ余裕もあり ませんでしたその時に通感したのは現代の 私たちは人生を整理する時間というとても 恵まれた環境にいるということです先中の 父は突然の出世命令で家を出てそのまま 帰ってくることはありませんでした家族と の最後の会話も別れの言葉もきちんと かわすことができませんでしたでも今の 私たちは違いますある程度自分の人生の 将来を見通して準備をする時間があります 家族との時間を大切にし伝えたいことを 伝え整理すべきことを整理する時間がある のですこれは考えてみれば本当に幸せな ことではないでしょうか私が人生の整理を 初めては勝ったのはそれは決して暗い作業 ではないということですむしろ自分の人生 を振り返り大切なものを再確認し家族との 絆を深めるとても温かい時間になるのです 展示中別れがいつも隣にあった時代を知っ ている私だからこそ言えることがあります 将来を不安に思って避けるのではなく将来 と向き合うことで今を生きることの意味が より深く理解できるようになるそして限り ある時間だからこそ1日1日がより貴重に 感じられるようになるのです私の父はセ地 から最後の手紙でこう書いていましたいつ 何が起こるかわからない毎日だが家族の ことを思うと1日1日を大切に生きようと いう気持ちになる当時は子供だった私には 理解できませんでしたが今になってその 意味がよくわかります人生の有限性を意識 することで生きることがより輝いて見える ようになるそれが父が最後に私たちに伝え たかったことだったのかもしれません皆 さんももし人生の整理という言葉に抵抗を 感じておられるなら少し考え方を変えてみ てくださいそれはよりよく生きるための 準備なのです自分の人生を見つめ直し本当 に大切なものを見つけ残された時間をより 充実したものにするためのとても前向きな 作業なのですそしてこの準備を通じて私は 人生の5つの宝物を発見することができ ましたこれからその宝物について1つずつ お話しさせていただきますそれでは私が 発見した最初の宝物についてお話しさせて いただきますそれは家族との本当の絆です この宝物を見つけたきっかけは6歳になる 孫の純心な一言でした妻が天国へ旅立って から半年ほど経った秋のことです長男家族 が心配して私の様子を見に来てくれました その時6歳の孫が私の膝の上に座ってこう 聞いてきたのですじじ宝物って何私は一瞬 言葉に詰まってしまいました85年間生き てきて魔に宝物は何と聞かれてすぐに答え られない自分が情けなく感じられました うーん宝物かじ事にとっての宝物は何 だろうねそう言いながら私は考え込んで しまいましたお金いえ思い出の品でもどれ もピンと来ませんでした孫は無邪気に続け ましたママが言ってたよ家族がじ事の宝物 だってその瞬間私の胸がじんと暖かくなり ましたそうか家族が私の宝物なのかでも 本当にそう思えているだろうか実は妻がい なくなるまで私は家族の存在を当たり前に 思っていました妻がいるのも当たり前子供 たちが元気でいるのも当たり前孫たちが 成長していくのも当たり前でも妻を失って 初めて気づいたのです当たり前だと思って いたものが実は最も貴重な宝物だったと いうことに妻がいなくなった直後私は1人 で家にいることが辛くて仕方ありません でした52年間いつもと隣にいてくれた人 がいない静寂誰かと話をしたくても相手が いない寂しさそんな時子供たちが交代で 様子を見に来てくれるようになりました 長男は週に2回次男は月に1回娘は週末に 顔を出してくれます最初は心配をかけて 申し訳ないという気持ちでいっぱいでした でもだんだんと気づいてきたのです子供 たちは義務感できているのではない本当に 私のことを心配して愛情を持って接して くれているのだということに特に印象的 だったのは長男の嫁の優しさでした血の 繋がりのない私に対して実の父親のように 接してくれるのです妻が作っていた私の 鉱物の煮物を覚えて同じ味で作ってきて くれた時は涙が出そうになりました お父さんお母さんから聞いていたレピで 作ってみました味はどうですかその優しい 声と心のこもった料理に私は本当の家族の 温かさを感じたのです孫たちとの関係も妻 がいなくなってから変わりましたは孫が 遊びに来ても妻が中心になって相手をして いました私は少し離れたところからその 様子を眺めているだけでしたでも1人に なってからは孫たちと直接向き合う時間が 増えました最初は何を話していいか分から ずこちない時間が流れていましたでもある 日中学生の孫が私に相談してきたのです GG学校で嫌なことがあったんだどうし たらいいと思うその時私は教師時代の経験 を思い出しました40年間たくさんの子供 たちの悩みを聞いてきましたその経験が孫 との関係を深めるきっかけになったのです 私は孫の話をじっくり聞いて自分の体験を 交えながらアドバイスをしましたすると孫 は安心したような顔になって言いました じじってすごく話しやすいねまた今度も 相談していいその時私は気づいたのです 家族との絆は血のつがりだけで生まれる ものではないお互いを思いやり支え合う 気持ちから生まれるのだということを エンディングノートの件で長男にまだ早い と言われた時も実は家族の愛情の現れだっ たのです私が将来のことを心配するのが 気がかりでもっと長意気して欲しいという 気持ちから出た言葉だったのですその後 家族でゆっくり話し合う時間を持ちました 私の気持ちを説明しにも率直な思いを聞か せてもらいました長男は言いました お父さんが1人で悩んでいるのを見るのが つかったでも僕たちに相談してくれて 嬉しいお父さんが大切にしているものを僕 たちも大切にしたい娘は泣きながら言い ましたお母さんがいなくなってお父さん までいなくなったらどうしようって毎日 心配していたでもお父さんがちゃんと準備 をしてくれるなら安心できる次男は静かに 言いましたお父さんの人生を振り返って僕 たちに伝えたいことがあるならぜ非聞かせ てほしいお父さんから学びたいことが たくさんあるその時私は深く感動しました 子供たちはもう立派な大人になっていたの です私を支えてくれる頼もしい存在になっ ていましたそして私自身もまだ家族に与え られるものがあることに気づきました人生 の経験知識愛情それらを次の世代に伝える ことが私の大切な役割なのだと分かったの ですエンディングノートを各作業も家族と 一緒に行うようになりました1人で悩んで いた時は筆が進まなかったのに家族と話し ながら書くと伝えたいことがたくさん出て きましたお父さんが1番大切にしてきた ことは何私たちに1番伝えたいことは お父さんの子供時代の話を聞かせて家族 からの質問に答えているうちに自分でも 忘れていた大切な記憶が蘇ってきました そして家族との会話を通じて私の人生の 意味を再確認することができたのです現在 私のエンディングノートはただの事務的な 記録ではなく家族への愛のメッセージ集に なっています1人1人への感謝の気持ち 伝えたい言葉そして私が学んだ人生の教訓 それらを心を込めて書きしています孫たち との関係もどんどん深くなっています私の 戦争体験を話すと歴史の授業では学べない せの体験として真剣に聞いてくれます教師 時代の話をすると将来への参考にしたいと 言ってくれますとして何より嬉しいのは魔 たちが私を頼りにしてくれることですジに 聞けば何でも教えてくれるそう思って もらえることが私の生きいになっています 妻がいた頃は妻が家族の中心でした私は 少し離れたところにいて家族との距離を 感じることもありましたでも1人になって から家族との距離がぐっと縮まったのです これは不思議なことかもしれませんが妻を 失った悲しみを通じて残された家族との絆 がより深くなったのですお互いの大切さを 改めて確認することができました最近私は 家族写真を見るたびに思いますこの笑顔が 私の宝物なのだとこの人たちと過ごした 時間が私の人生の最も貴重な財産なのだと そしてこれからも続いていく家族の歴史の 中で私の役割があることを嬉しく思ってい ます子供たちの人生を見守り孫たちの成長 を応援し孫たちに愛情を注ぐそれが85歳 になった私にできる最も意味のある仕事な のですじじ宝物って何あの日の孫の質問に 今なら自信を持って答えることができます 君たち家族が事の1番の宝物だよ家族との 本当の絆それは失ってから気づくものでは なく日々の小さな愛情の積み重ねから 生まれるものですそしてその絆は時間が 経つほど困難を乗り越えるほどより強く より深いものになっていくのですこれが私 が発見した最初の宝物でした4第2の宝物 今まで気づかなかった日常の美しさ次にお 話しする2番目の宝物は今まで気づか なかった日常の美しさですこの宝物を発見 したのは妻が天国へ旅立ってから初めて 迎えた朝のことでした妻がいた頃私は朝7 時頃に起きるのが週慣でした起きる頃には 妻がすでに朝ご飯の準備を始めていて台所 から包丁の音やお味噌汁の香りが漂ってき ていましたそれが我が家の朝の始まりでし たところが1人になってからはなかなか 眠れない夜が続いて自然と早起きになった のです朝の5時頃に目が覚めてそのまま 起きてしまう最初の頃はこの静寂が辛くて 仕方ありませんでしたでもある朝のこと ですいつものようにゴ地頃に目が覚めて なんとなく窓のカーテンを開けました外は まだ薄暗くて街灯がポツポツと光ってい ましたその時ふと聞こえてきたのです鳥の 鳴き声がチュンちンチュンちン最初は1話 だったのがだんだんと数が増えてやがて 美しい合唱になりました私はその鳴き声に 引き込まれるようにじっと耳を傾けました そしてはっと気づいたのですこの鳥の 鳴き声52年間の家に住んでいて今まで 1度もこんなにじっくり聞いたことが なかった妻がいた頃は朝起きるとすぐに 洗面や着替えに忙しくて外の音に耳を 向ける余裕がありませんでした鳥が泣いて いるのは知っていましたがそれがこんなに も美しい音楽だったとは全く気づいてい なかったのですその日から私は前や寺に 起きて鳥の鳴き声を聞くことが日家になり ました季節によって泣く鳥の種類が違う ことも分かりました春にはウぐ椅夏には ひり秋にはモず冬にはスズメたちそれぞれ に違った美しさがあることを知りました鳥 の鳴き声に気づいてから他の音にも敏感に なりました風が木々を揺らす音雨が屋根を 叩く音遠くから聞こえてくる電車の音それ ら全てが今まで気づかなかった日常の音楽 だったのです食事の時間も変わりました妻 がいた頃は2人で話をしながら食べるのが 楽しみでした1人になってからは最初は 寂しくて食事が味けないものに感じられ ましたでもある日ゆっくりと味わって食べ てみたのですその日の朝ご飯は簡単なもの でしたご飯と味噌汁それに前日の残りの 煮物決して豪華ではありませんが一口一口 をゆっくりと味わいましたすると驚いた ことにお米の甘さを初めて感じたのです 噛めば噛むほど口の中に優しい甘さが 広がっていく味噌汁の出汁の深い味わいも 今まで以上に感じることができました妻が 作ってくれていた頃は料理の味に集中する ことよりも妻との会話を楽しむことの方に 意識が向いていましたそれはそれで幸せな 時間でしたが食べ物そのものの味を深く 味わう機会は少なかったのです1人で 食べるようになって食べ物への感謝の 気持ちも深くなりましたこのお米を作って くれた農家の方味噌を作ってくれた職人 さん野菜を育ててくれた人たちとしてこれ らの食材を私の口まで運んでくれたくさん の人たちの存在を感じるようになりました 家庭菜園の楽しみも妻がいなくなってから 変わりました以前は妻と一緒に野菜を育て て2人で収穫を楽しんでいましたでも1人 になってからは野菜たちとのもっと深い 対話ができるようになったのです毎朝野菜 の様子を見に行くのが日家になりました トマトの苗に新しい花が咲いているのを 見つけた時の喜びキュウリが一晩で大きく なっているのに気づいた時の驚きピーマン の身が日に日々に色づいていく様子を 見守る楽しさ野菜たちは毎日少しずつ変化 していてその変化を見ているだけで心が 豊かになりましたそして私が手をかけた分 だけ野菜たちが答えてくれることの喜びを 改めて感じることができました季節のうい も以前より敏感に感じるようになりました 妻がいた頃は家の中のことに忙しくて外の 変化にそれほど注意を払っていませんでし たも1人になってから毎日同じ時間に同じ 道を散歩するようになって季節の微細な 変化に気づくようになったのです桜の つぼみが膨らみ始める瞬間侵緑の歯が日に 日々に濃くなっていく様子夏のセミの 鳴き声が種類によって時期が違うこと秋の 紅葉が木によって色づく時期が異なること 冬の脂が朝日に照らされてキラキラと輝く 美しさこれら全てが85年間生きてきて今 になって初めて本当に見えたものでした 夕日を見る時間も私の大切な日家になり ました妻がいた頃は夕方は家事や明日の 準備で忙しくて夕日をゆっくり眺める時間 などありませんでしたでも1人になって から時間に余裕ができて毎日夕日を見る ようになったのです同じ西の空に沈む太陽 でも毎日違った表情を見せてくれます雲の 形やによって夕日の色が変わります オレンジ色の日もあれば真っ赤な日もある ピンク色に染まる日もあれば黄金色に輝く 日もあるそして夕日を見ながら私は毎日 同じことを思うようになりました今日も1 日無事に過ごすことができてありがたい 当たり前のように思っていた今日1日を 生きることが実はとても貴重でありがたい ことなのだと夕日を見ながら実感するよう になったのです特書の時間も以前とは全く 違った意味を持つようになりました妻がい た頃はテレビを見ながらあるいは妻と話を しながらの長ら読書が多かったのですでも 1人になってからは静かな環境でじっくり と本に向き合うことができるようになり ました1冊の本を時間をかけて丁寧に読む 印象に残った部分に線を引いたりメモを 取ったりしながら読むと今まで読み流して いた部分にも深い意味があることに気づく ようになりました特に人生について書かれ た本を読む時は著者の言葉が以前より深く 心に響くようになりました85歳になって ようやく理解できるようになった言葉も たくさんありました若い頃に読んだ本を 読み返すと全く違った内容に感じられる こともありましたお風呂の時間祭も特別な 時間になりました妻がいた頃はお風呂は1 日の疲れを取る場所でしたさっと入って さっと出るそれで十分でしたでも1人に なってからはお風呂でゆっくりと1日を 振り返る時間を持つようになりました 温かいお湯に浸りながら今日あった小さな 出来事を思い出す今日見た美しいもの今日 感じた嬉しいこと今日気づいた新しいこと そんな風に1日を振り返っているとどんな に平凡に思えた1日でも実はたくさんの 小さな宝物があることに気づくのです妻が いなくなって最初は何もすることがないと 感じていましたも実際には今まで見過ごし ていた美しいものが身の周りにたくさん あったのですそれらに気づくためには少し 時間をかけて丁寧に観察することが必要 でした急いで生活していた頃には見え なかった美しさがゆっくりと生活すること で見えるようになったのです現在の私は 毎日がとても豊かに感じられます特別な ことをするわけではありませんも日常の 小さな美しさに気づくことで毎日が新鮮で 感動に満ちたものになりました朝の鳥の 鳴き声で目覚めて庭の花に挨拶をして丁寧 に朝ご飯を味わって野菜の成長を見守って 季節の変化を感じながら散歩して夕日を 眺めながら1日に感謝するそんな1日が私 にとっては掛けがえの泣いたからものなの です皆さんももし少し時間に余裕がある なら身の周りの小さな美しさに目を向けて みてくださいきっと今まで気づかなかった 素晴らしいものがたくさん見つかると思い ますそれらはお金では買えないでも心を 豊かにしてくれる本当の宝物なのです3番 目の宝物は人に与えた愛と受けた愛の記憶 ですこの宝物を発見したのは妻の異品を 整理している時でした実はこの生理作業を 始めるまでに妻が天国へ旅立ってから1年 以上かかりましたどうしても妻のものに 触れる勇気が出なかったのですも子供たち からいつまでもそのままにしておくのは お母さんも悲しむよと言われてようやく 思い越しをあげたのです妻の部屋でタンス の引き出しを1つずつ開けていきました 洋服アクセサリー化粧品どれも妻の匂いが して触れるたびに胸が締めつけられました そして1番下の引き出しを開けた時そこに は熱い封筒がたくさん入っていました何 だろうと思って中身を確認してみるとそれ は私が教師をしていた頃の教え子後たち からの年賀状でした最初の年賀状は私が 教師になって2年目昭和40年の年賀状 でしたそして1番新しいものは妻が旅立つ 直前令和元年の年賀城なんと40年以上に わって送られてきた年挫状が綺麗に年代順 に整理されて保管されていたのです私は その量の多さに驚きました毎年100枚 近い年賀状が40年分妻が私に届いた教え 後からの年賀状を1枚1枚大切に保管して くれていたのです1枚1枚を読み返してみ ましたするとそこには私が教師として 過ごした40年間の歴史が刻まれていまし た先生結婚しました先生子供が生まれまし た先生転職しました先生親になって先生の 気持ちが分かるようになりました後たちの 人生の節め節しめで私のことを思い出して 報告してくれていたのですそしてその全て を妻が大切に保管してくれていました特に 印象的だったのは田中正尾君という教え子 後からの年賀でした彼は小学4年生の時に 私のクラスになった子で最初はうち着で 友達ができずに困っていましたその時の 年賀状にはこう書かれていました先生僕は 先生に出会えて本当に良かったです先生が 僕の話をじっくり聞いてくれたから学校が 楽しくなりましたそれから毎年年状が届い ていました中学に進学した時高校に合格し た時大学に入った時就職した時そして結婚 した時にはこんなメッセージが書かれてい ました先生僕が人を信じることができる ようになったのは先生が僕を信じてくれた からです今度は僕が妻をそして将来生まれ てくる子供たちを先生のように信じて支え ていきたいと思います私はその年賀状を 読みながら涙が止まりませんでした自分で は忘れていた小さな出来事打ち気だった彼 と放課に少し話をしたこと彼の描いた クラスみんなの前で褒めてあげたこと運動 会で転んだ時に手当てをしてあげたこと そんな小さな出来事が彼の人生に大きな 影響を与えていたのです他にもたくさんの 感動的な年がありました先生のお金で勉強 の楽しさを知りました今私も教師をしてい ます先生が教えてくれた人の気持ちを 考えることを自分の子供にも伝えています 先生の諦めないことの大切さという言葉で 困難を乗り越えることができました教師と して働いていた頃は毎日側は正しくて自分 が子供たちにどんな影響を与えているか など深く考える余裕がありませんでした ただ一生懸命に子供たちと向き合っていた だけでしたでも年賀状を読み返してみると 私が与えた小さな愛情が子供たちの心に 深く寝ついてそれが彼らの人生を支える力 になっていたことが分かりましたそして 何より驚いたのは教え子後たちからもあっ た愛情の大きさでした彼らは私に教えられ たと思っているようですが実際には私の方 が彼らから多くのことを教えられていたの です子供たちの純身ない笑顔先生 ありがとうという素直な言葉困った時に私 を頼ってくれるしない成長した姿を報告し てくれる嬉しさそれら全てが私の人生を 豊かにしてくれていました教師という仕事 を通じて私は教え子後たちからたくさんの 愛をもらっていたのです年賀状の整理が 終わってから妻の日記も見つけました妻は 結婚してから天国へ旅立つまでずっと日記 をつけていたのです恐る恐る読ませて もらいましたするとそこには私への愛情が 溢れていました今日主人が疲れて帰ってき た教え語のことで悩んでいるようだった私 にできることは美味しい夕飯を作って ゆっくり話を聞いてあげることぐらい主人 が教え後から年をもらってとても嬉しそう にしていた40年も経っても子供たちが 覚えていてくれるなんて主人は本当に良い 先生だったんだと思う主人の定年が近づい てきた長い間本当によく頑張ってくれた これからは2人でゆっくりと過ごしたい私 は妻の日記を読みながら改めて妻の愛の深 さを感じました妻は私が気づかないところ でいつも私を支えてくれていたのです そして私の仕事を誇りに思ってくれてい ました妻の愛情は言葉で表現されることは しょうありませんでしたでも毎日の生活の 中で温かい食事清潔な服居心地の良いそれ ら全てが妻の愛情の現れだったのです一記 の最後の方にはこんな言葉がありました 主人と52年間一緒に過ごすことができて 幸せだったもしもう1度人生があるなら また主人と夫婦になりたいその言葉を呼ん だ時私は声をあげて泣いてしまいました妻 がどれほど私を愛してくれていたか改めて 知ることができました近所の方々からの 愛情も妻がいなくなってから強く感じる ようになりました妻の葬儀の時こんなにも 多くの人が来てくださったのかと驚きまし たとしてそのまも多くの方が私を気にかけ てくださっています田中さんお1人で 大丈夫ですか何か困ったことがあったら 遠慮しないで声をかけてくださいね今度 みんなでお食事でもしませんか近所の奥 様方が変わるわる様子を見に来てください ます手作りの料理を持ってきてくださる方 もいます病院に行く時に車で送って くださる方もいます俺ら全てが私たち夫婦 が長年にわって気づいてきた地域の方々と の愛情のやり取りの結果だったのです妻が 元気だった頃近所で病気の方がいれば妻は よくお見舞いに行っていましたお料理を 作ってもっていったり話してになったり私 も力仕事があれば手伝いに行ったり子供 たちの勉強を見てあげたりそんな小さな 親切の積み重ねが今私への温かい支援とし て帰ってきているのです子供たちからの 愛情も以前より深く感じるようになりまし たそれは私が1人になって子供たちの優し さがより見えるようになったからかもしれ ません長男は週に回必ず様子を見に来て くれます仕事で忙しいはずなのに時間を 作ってきてくれるその気持ちが本当に ありがたいのです次男は電話で私の話を長 時間聞いてくれます同じ話を何度しても嫌 な顔をせずに聞いてくれるその優しさに いつも感動しています娘は母親のような 愛情で私を包んでくれますお父さん ちゃんと食べてる体調は大丈夫いつも私の 健康を気遣ってくれます孫たちからの愛情 もとても純粋で温かいものですじじ今度 いつのじと一緒にいると楽しいそんな言葉 をかけてもらうたびに心が温かくなります 85年間生きてきて気づいたのは人生は 愛情のやり取りで成り立っているという ことです私が誰かに与えた愛情は形を変え て必ず自分に帰ってきますそして私が受け た愛情はまた誰かに渡していくことができ ます愛情はお金のように減るものではあり ませんむしろ与えれば与えるほど自分の心 も豊かになりますそして受ければ受ける ほど今度は与えたくなります現在の私は この愛情の循環の中で生きていること深く 実感していますおたちから受けた愛情を 今度は孫たちに注いでいます今から受けた 愛情を近所の方々への親切として表現して います地域の方々から受けた愛情をまた別 の困っている方への支援として使ってい ます愛情は人生の最も大切な宝物です そしてこの宝物は分け合うことでより輝き を増していくのです皆さんも是非身の周り の愛情に目を向けてみてください家族から の愛情友人からの愛情地域の方々からの 愛情そして皆さんが誰かに与えている愛情 それら全てが人生を豊かにしてくれる 掛けがえのない宝者なのです4番目の宝物 は自分が本当に大切にしてきた価値観です この宝物を発見したのはエンディング ノートの自分を書いている時でした家族と 一緒にノートを書き進める中でお父さんが 人生で1番大切にしてきたことは何という 娘の質問に私は答えに困ってしまいました 85年間生きてきて自分が何を大切にして きたのか改めて考えてみると意外にも明確 に答えられなかったのですそこで私は人生 を振り返る作業を始めました戦争中の体験 教師時代の思いで家庭を築づいてきた日々 それらを丁寧に思い返していく中で自分で も気づかなかった大切な価値観が見えてき たのです最初に思い浮かんだのは戦事中の 父の教えでした父が出世する前の晩6歳の 私にこう言ったのを覚えています人は どんなに苦しい時でも人として正しいこと を忘れてはいけないお金やものがなくても 心だけは貧しくしてはいけないよ当時の私 には父の言葉の深い意味は分かりません でしたでも戦争中の食料の時期にその意味 を身を思って理解することになったのです 配給のお米が足りない日々が続いていた時 のことです近所のおばあさんが私たち家族 に少しだけお米を開けてくれましたそのお ばあさんの家も決して豊かではありません でしたそれなのに困っている人が入れ橋を 差し伸べる母はそのお米を受け取りながら 涙を流していましたそして私に言いました お父さんが言っていた心を貧しくしないと いうのはこういうことなのねどんなに 苦しくても人への思いやりを忘れないこと なのその時私は父の教えの本当の意味を 理解しました人として正しいことそれは人 を思いやる心を持ち続けることだったの です教師になってからもこの価値観が私の 行動の基準になっていました学力の高い子 も低い子も家庭環境の良い子も悪い子も 全て平等に愛情を注ぐ1人1人の可能性を 信じて諦めることなく続けるある時クラス に学習についていけない子がいました他の 先生からはあの子は無理よと言われること もありましたが私は諦めませんでした日後 に残ってその子のペースに合わせて丁寧に 教え続けました半年後その子が算数の テストで初めて80点を取った時私は自分 のことのように嬉しくて職員室で涙を流し てしまいました同僚の先生に田中先生は 本当に子供思いですねと言われた時私は父 の教えが自分の中に寝ついていることを 実感したのです人を大切にするという価値 観は家庭生活でも現れていました妻との 結婚生活の12年間で大きな喧嘩をした ことは数えるほどしかありませんでした それはお互いを尊重し相手の立場に立って 考えることを心がけていたからです妻が 体調を崩した時は家事を変わって行いまし た当時は男性が家事をすることが珍しい 時代でしたが私は全く気になりませんでし た夫婦は支え合うものそれが私の価値観 でした子育てでもこの価値観は一貫してい ました厳しくしつけることも必要でしたが 子供たちの人格を尊重することを忘れませ んでした長男が進路で迷っていた時私は 自分の希望を押し付けることなく息子の 気持ちを聞いて支援しましたお前の人生は お前が決めるものだお父さんはお前の決断 を応援するそういった時の長男の安度した 表情を今でも覚えています近所付き合いで も同じ価値時間で行動していました困って いる人がいればできる範囲で手を貸すお 祭りや地域の行事には積極的に参加する 自分だけが良ければいいという考え方では なくみんなで支え合って生きていくそんな 価値観で過ごしてきた85年間を振り返っ た時私は気づいたのですお金や地位名誉と いったものよりも人とのつがりや思いの心 の方がずっと価値のあるものだったという ことに私が教師時代に受けた最高の評価は 優秀教員症という症状ではありませんでし たこれは卒業生たちが20年後30年後に なっても私を伝え続けてくれていること でした私が人生た最大の財産は銀行の預金 通帳に書かれた数字ではありませんでした それは家族との温かい思い出と多くの人 たちとの心のつがりでしたエンディング ノートを書きながら私は自分の価値観を 改めて確認することができましたそして その価値観に従って生きてきたことを誇り に思えるようになったのです人を大切に すること思いやりの心を持ち続けることお 互いを支え合って生きること決して諦め ないこと正直で誠実であることこれらの 価値観は父から受け継ぎ人生を通じて育て てきた私の大切な宝物でした現在私はこの 価値観を孫たちに伝えようとしています人 に優しくすることの大切さ努力することの 意味正直であることの価値孫たちが私の話 を真剣に聞いてくれる時私は自分の価値観 が次の世代に受け継がれていくことを実感 しますまた近所の若い夫婦が子育てで悩ん でいる時私の経験と価値観を分けてあげる こともあります子供は1人1人違う比較 するのではなくその子の良いところを 見つけてあげることが大切そんな アドバイスをすると若いお母さんの表情が 明るくなります自分の価値観を見つめ直す ことで私は人生の最終賞をどう生きるべき かも見えてきました残された時間の中で 自分の価値観に従ってできることを精一杯 やり続ける人を大切にし思いやりを持ち 続け次の世代に良いものを残していくそれ が85歳になった私の使命だと思ってい ます若い頃は成功や出世お金を稼ぐことが 重要だと思っていましたでも人生の終盤に なって気づいたのは本当に大切なのは どんな価値観で生きてきたかということ でしたお金は使えばなくなります やめえよも時がわていきますでも価値観は違います正しい価値観は時がつ輝きを増し 次の世代につがれていくのです皆さんも是非 1度ご自分の価値観を振り返ってみてください人生で何を大切にしてきたのかどんな信念を持って生きてきたのかそしてそれの価値観が周りの人たちにどんな 影響を与えてきたのか皆さんの中にも素晴らしい価値観という宝物が眠っていることでしょう その宝物を見つけ大切にし次の世代に伝え ていくそれが人生の後半を充実して過ごす 秘訣の1つなのです自分が本当に大切にし てきた価値観それはお金では買えないでも 人生を豊かにしてくれる真の宝物なのです 最後にお話しする5番目の宝物は次の世代 に残したいと思いですこの宝物を発見した のは4歳になるひ子に折り紙を教えている 時のことでした春日曜日の午後娘が孫とひ を連れて遊びに来てくれましたひ孫子の みさちゃんが私の部屋にあった折り紙を 見つけて興味深に触っていましたひじー ちゃんこれ何みさちゃんの純心な瞳に 見つめられて私は折り紙を手に取りました 実はこの折り紙は妻の異品の1つでした妻 は手先が器用で季節ごとに美しい折り紙を 覆って家の中を飾っていたのですこれは 折り神って言うんだよこの紙でいろんな ものを作ることができるんだ私はみさ ちゃんに1番簡単なつの折り方を教える ことにしましたでも4歳の小さな手では なかなかうまく折れません何度も失敗して はできないと言って泣きそうになるみさ ちゃんその時私は教師時代のことを 思い出しました子供たちに何かを教える時 1番大切なのは技術ではなく心を伝える ことだということみさちゃん上手にでき なくても大丈夫だよ大切なのは一生懸命 やることなんだ私はみさちゃんの小さな手 を包むように支えて一緒に折り紙を折り ました少しいびでしたがなんとかの形に なりましたできたヒジーちゃんできたよ みさちゃんの嬉しそうな笑顔を見ていて私 は深く感動しましたそしてふと気づいたの です私がみさちゃんに教えたのは折り紙の 技術だけではなかったということに諦め ないことの大切さ失敗を恐れずに挑戦する こと誰かと一緒に頑張ることの喜びできた 時の達成感を大切にすることこれら全てが 私が85年間の人生で学んできた大切な 知恵でしたその日から私は意識的に孫や孫 たちとの時間を知恵を伝える機会として 捉えるようになりました中学生の孫が勉強 でつまづいている時私は勉強のやり方より も学ぶことの意味について話しました勉強 はテストで良い点を取るためだけのもの じゃない新しいことを知る喜び分から なかったことが分かるようになる楽しさ それが本当の学習なんだよ高校生の孫が 信路で悩んでいる時は自分の経験を交え ながらアドバイスしました人生に正解は ないでも自分が信じる道を歩むことが大切 だ失敗を恐れずに自分の心に正直に行き なさい小学生の孫には戦争体験を通じて 平和の大切さを伝えました戦争は本当に 悲しいものだっただからこそ君たちには 平和な時代を大切にしてほしいそして人を 傷つけるのではなく気当を大切にする人に なってほしい孫たちは私の話を真剣に聞い てくれますそして時々こんなことを言って くれるのですじ事の話を聞いていると勇気 が出るじ事のように優しい人になりたい じ事が教えてくれたこと忘れないよそんな 言葉を聞くたびに私は自分の人生に意味が あったことを実感しますエンディング ノートを書く家庭でも次の世代に伝えたい ことがたくさん見つかりました人生で学ん だ失敗の教訓困難を乗り越える方法人間 関係を築づくコツ幸せを見つける秘訣これ ら全てを魔たたちに文字として残したいと 思いました特に力を入れて書いたのは人生 で大切にして欲しい銃のことという項目 でした1人を大切にすること2諦めずに 努力すること3感謝の心を忘れないこと4 正直で誠実であること5失敗を恐れずに 挑戦すること6家族を愛し大切にすること 7困っている人を助けること8学び続ける ことをやめないこと9健康に気をつける こと10毎日を大切に生きることこれらの 1つ1つに私の体験談を交えて詳しく書き ました単なる説教なもみ隠さ ず録しました近所の若い婦との交流も知恵を伝える大切な機会になっています子育てで悩んでいる母さんには私の教師代の経験をけてますは 1人1人違います他の子と比較するのではその子だけの良いところを見つけてください仕事で悩んでいる若いさんには人間関係の気づき方についてバイスします相手の立場に立って考えることが全ての基本です 自分のことばかり考えていては良い関係は 気づけません時には私の方が若い人たち から学ぶこともあります現代の技術や 新しい考え方について教えてもらうのです そんな時私は素直にありがとうと言います 年上だからと言って全てを知っているわけ ではない学ぶ姿勢を持ち続けることが大切 だそれも私が伝えたい知恵の1つです最近 私は地域の小学校から戦争体験を話して 欲しいと依頼されましたは躊躇しましたが これも次の世代に知恵を伝える大切な機会 だと思い引き受けました子供たちに戦争の 悲惨さを話すのは辛いことでしたが同時に 平和の大切さも伝えることができました 戦争は人を不幸にするだけですでもみんな が思いやりの心を持ってお互いを大切に すれば平和な世界を作ることができます 子供たちの真剣なマ志しを見ていて私は 確信しました私たちの世代が経験したこと を伝えることでより良い未来を作ることが できるのだと家族との会話の中でも意識的 に人生の知恵を伝えるようにしています 夕食の時散歩の時一緒にテレビを見ている 時そんな何気ない時間にさりげなく大切な ことを話すのですお母さん妻のことがよく 言っていたんだけど小さな親切の積み重ね が大きな幸せを生むんだよじ事が教師をし ていて学んだのは人はみんな可能性を持っ ているということ自分や他人の可能性を 信じることが大切なんだ孫たちはそんな私 の話を自然に受け入れてくれます説教臭く ならないように体験談を交えて話すことを 心がけています私が次の世代に伝えた一は 特別なものではありません普通の人が普通 に生きる中で学んだごく当たり前のこと ばかりですでもその当たり前のことが実は とても大切なのです人を思いやること努力 を続けること感謝の気持ちを忘れないこと 家族を大切にすることこれらの中は時代が 変わっても色わせることはありません むしろ技術が発達し社会が複雑になった 現代だからこそより重要になっているのか もしれません私の人生ももうそれほど長く はないでしょうでも私が学んだ知恵や大切 にしてきた思いが次の世代に受け継がれて いけばそれで十分です孫たちが大人になっ てさらにその子供たちに私の知恵を伝えて くれるそんな風に良いものが大々受け継が れていくことを願っていますみさちゃんに 折り紙を教えた時私は気づきました私たち が次の世代に残せる最大の宝物はお金でも 物のでもない人生の知恵と次の世代への 愛情なのだということその知恵は技術的な スキルではありません人として大切なこと 幸せに生きるために必要なこと困難を 乗り越える力そんな人生の本質に関わる 知恵なのです現在私のエンディングノート には孫たちへの手紙も書き加えています それぞれの性格や状況に合わせて個別に メッセージを書いています不気な孫には 自分に自信を持つことの大切さについて 活発な孫には他人への思いやりを忘れない ことについて勉強が得意な孫には学んだ ことを人のために使うことについて 1人1人に合わせたメッセージを書くこと で私の知恵がより効果的に伝わることを 願っています次の世代に残したい知恵と 思いそれは私が人生をかけて集めた最も 貴重な宝物ですとしてこの宝物は与える ことで私の心も豊かにしてくれる特別な 宝物なのです皆さんも是非ご自分の人生で 学んだ知恵を次の世代に伝えてください それはあなたにとっても受け取る人にとっ ても掛けえのない宝物になるはずです皆 さん長い時間をかけて私の人生の5つの 宝物についてお聞きいただきありがとう ございました改めて振り返ってみますと この宝物たちは第1の宝物家族との本当の 絆第2の宝物今まで気づかなかった日常の 美しさ第3の宝物人に与えた愛と受けた愛 の記憶第4の宝物自分が本当に大切にして きた価値観第5の宝物寺の世代に残した一 と思いこれらの宝物を見つけて私の心境は 大きく変わりました妻を失った悲しみから 始まった人生の生理作業がいつの間にか 人生の宝物探しになっていたのですへの 不安や心配が感謝と喜びに変わりました 1人になった寂しさが静かな充実感に 変わりましたそして何より85歳になって もなお人生が新しい発見に満ちていること に驚いています毎朝鳥の鳴き声で目覚める ことの幸せ家族との何気ない会話の中に 感じる愛情の深さ近所の方々の優しさに 触れる温かさ孫たちに人生の知恵を伝える 喜びこれら全てが妻を失うという辛い体験 を通じて見つけた宝物でした人生とは 不思議なものです失ったと思ったものの中 に実は得るものが隠されている終わりだと 思ったことが新しい始まりになる不安や 悲しみが深い気づきをもたらしてくれる私 は現在毎日を感謝の気持ちで過ごしてい ます朝起きて今日も新しい1日をいただけ たと思います夜眠る前には今日も 素晴らしい1日だったと振り返りますこれ は決して無理をして前向きになろうとして いるわけではありません5つの宝物を 見つけてから自然にそう思えるようになっ たのです特に同じような経験をされている 皆さんにお伝えしたいのは人生のどの段階 においても新しい発見や成長があるという ことです60代の皆さんこれからの人生に はまだまだたくさんの宝物が眠っています 70代の皆さん人生の深みを味わう最高の 時期が始まっています80代の皆さん 私たちの世代だからこそ見える美しさが あります年を重ねることを恐れる必要は ありません体力は衰えるかもしれませんが 心の豊かさは増していきますできないこと が増えるかもしれませんが大切なことが より明確に見えてきます人生の整理をする ことも決して悲しい作業ではありません それは自分の人生を見つめ直し本当に大切 なものを再発見するとても前向きな作業な のです私がエンディングノートを書き始め た時は何を書いていいか分からず3回も 買い直しましたでも家族と一緒に取り組む ようになってから書きたいことが溢れる ように出てきました財産のことや手続きの ことよりも家族への感謝の気持ちや人生で 学んだ教訓の方がずっと大切だったのです もし皆さんの中で将来への不安を感じて いる方がいらっしゃいましたら是非一度ご 自分の人生を振り返ってみてください きっと皆さんの中にも素晴らしいたからが 眠っていることでしょう家族との思い出人 との傷が仕事での達成感困難を乗り越えた 体験誰かの役に立てた喜びそれら全てが皆 さんの人生の宝物なのですそしてその宝物 を大切にし感謝し次の世代に伝えていく それが人生の後半を豊かに過ごす秘訣だと 私は確信しています私の人生ももうそれ ほど長くはないかもしれませんでも今は そのことを悲しく思っていませんむしろ 限りある時間だからこそ1日1日をより 大切に過ごせるようになりました毎朝の鳥 の鳴き声を聞きながら今日も素晴らしい1 日が始まると思います家族と過ごす時間を 以前よりもずっと深く味わっています近所 の方々との何気ない会話も貴重な宝物とし て感じていますこれから先私がこのよう 去る日が来たとしても私は満足して旅立つ ことができると思います85年間の人生で たくさんの愛をもらい少しでも愛を与える ことができました家族との絆を深め たくさんの美しいものを見つけ大切な価値 観を貫き次の世代に知恵を伝えることが できましたそれで十分です最後にこの動画 をご覧になっている皆さんにお願いがあり ます今日お話しした5つの宝物の中でもし 心に響くものがありましたら是非皆さんの 身近な方にも伝えてくださいご家族やご 友人と人生について語り合う時間を持って くださいそして皆さん自身の宝物も探して みてください人生は1人で過ごすものでは ありません大切な人たちと支え合い 愛し合いながら歩んでいくものですその中 で見つけた宝物を分け合うことで人生は より豊かになります私がこの動画でお話し した内容が皆さんの人生に少しでも役に 立てればこれ以上の喜びはありません妻が 天国でこの動画を見て微笑んでくれている ことを願いながらお話を終わらせて いただきます皆さん本当にありがとう ございましたどうか皆さんもご自分の人生 の宝物を大切にして毎日を豊かにお過ごし くださいそしてもしよろしければこの チャンネルの登録ボタンを押して いただけると嬉しく思いますこれからも 高齢者の皆さんの暮らしが豊かになるよう な内容をお届けしていきたいと思っており ます今日の動画が良かったと思って いただけましたら高評価ボタンをお願い いたします皆さんからの温かい応援が私に とって大きな励みになりますコメント欄で は皆さんの人生の宝物や体験談をお聞かせ くださいきっと他の視聴者の方々にとって も参考になる素晴らしいお話があることと 思いますそれではまた次回の動画でお会い できることを楽しみにしております皆さん が健康で充実した毎日を過ごされることを 心からお祈りしています本日は最後までご 視聴いただき本当にありがとうございまし
この動画では、「老後にわかった人生の宝物」を解説しています。
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この動画はフィクションです。事実と異なる点があることを了承のうえ、エンタメ作品としてご視聴ください。
VOICEVOX:青山龍星
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