やや説教臭い解説になってしまいましたが、
教育学の教材としてもメチャクチャ面白いと思います。
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©山田胡瓜(秋田書店)/AIの遺電子製作委員会2023

5 Comments
臨床心理学や国語に注目してるので、キャラの考えや想い、また衝動に興味があるので、
癇癪を起こす子に母親が社会性を極端に押し付ける事で、
ピアノの才能(神様から与えられたギフト・発達障害)があるのに、
その才能を失う…
でも母親はそのピアノの技術より、友達と仲良くする事がこの子の生きやすさを選んだ。
それを須堂先生が『もったいない 』その才能を惜しむ言葉がある意味、
凄く僕自身にも救いになった。
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僕は統合失調症の毎日何時間もの、何度もリピートする辛い幻聴を忘れよう忘れようとしてました
同時に何重もの思考を平行して考えられるで、いろいろと多芸だったんですが、
そのただ辛い悪口の幻聴が聴こえ、聴こえてくる幻聴を全部覚えてリピートして辛かったです。
また何でも記憶しない忘れられるように、その記憶力などを捨て、
そして人間関係を良好にする事により、
ギフト的な能力を失う失うような事で、自分の苦しみから逃げる事が出来たので、
今、人に対し、心を開くように成れました。
そして人が嫌な事を言っても、大抵忘れる事が出来るので、生きやすくて楽な現在があります。
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多分ギフトであるピアノの才能を持った少年は、きっとストレスを軽く軽減でき、
社交性により生きやすい人生を得たように感じます。
学校や親は問題点である癇癪を無くして、周りと協調する方が、
個人の特化した能力を伸ばすより、本人にとっては明るく生きやすくなる。
誰にもできない能力を持ってても、人との摩擦があり、辛い思いをするならば、
僕は能力が無くなっても、みんなへ心を開く方が、
凄く癒しと、明るさを、手に入れられたと感じます。
『AIの遺電子』は記憶を塗り替えるより解決し、
僕はリピートする記憶を忘れる事をする事で、何とか楽に成りました。
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能力は無くなったけど、凄くストレスから離れる事が出来ました。本当もったいないけど。
「程度」の問題ですかね。長期の経験によって精神が丸く「傷ついて」その結果才能の結実をみる。その間に被る不利益との勘案です。依存症の父親の場合は金額が妥当かどうかですが、それ以前に治療に関する責任能力のない夫に代わって奥さんに告知すべきところですね。
サボテンを始め多肉植物は雨の少ない過酷な地域に自生しており、過度の水やりは根を腐らせ、枯らしてしまいます。
贈答されたエケベリア属のサボテン(和名は牡丹類)の生育期である春と秋の水遣りは3〜5号鉢で月3回くらい。休眠期の真夏と真冬は断水して下さい。確かに毎日水やりが必要な野菜や果物より育てやすいです。
正しい育て方を知っていれば…ですが。
過干渉と平均化
だと思います。
ヒューマノイドも、植物と同様に、一人ひとり違う対応が必要な筈なのに、集団にとって不利益だから…洗脳と記憶改竄を選択してしまった。
牡丹類は生育環境に近い育て方をすれば、綺麗な花を咲かせます。
けど治療によって、サボテンを稲に変えてしまった。
母親や教師、周囲の子供達によって、永遠にピアニストとして大成する未来が奪われてしまった事が残念でなりません。
確かにピアノの才能はもったいないかもしれないが、少年の付随する性格特性は音楽家として生きる場合にすら不適合になりかねないので仕方がないかと。
少年のケースの『治療に成功するとピアノの才能を失ってしまう』は正に私自身が経験したことでとても身につまされる思いでした。
もっとも私の才能なんて『二次創作の小説が書ける』程度のものでしかありませんでしたが。
私は現在も精神疾患でカウンセリングと投薬の治療を受け続けています。そしてその治療(主に投薬)のせいで『妄想をする力』が著しく損なわれてしまい今となっては『物語』を創作することがまったくできなくなっています。
ただだからと言って「不幸か?」と問われれば情緒不安定になることが減り穏やかに過ごせる時間が増えていることも確かなので「幸福」と言えなくとも不幸なわけではありません。
そう考えるとピアノの才が失われたことは『もったいない』けれどこれはこれで良かったのかもしれませんね。
追記】少年のケースってなんだか『アルジャーノンに花束を』を思い起こさせますね。