SSB樺太あおぞら放送局様(本物)の、動画をパクりました!。許可は、多分取りました!ありがとうございました。
スーパーリスペクト元→https://youtu.be/ctP5COXkE60
※奈良駅のナンバリング間違えました。A-26です。
【写真】
Wikimedia Commons
※以下の文章及び動画の内容は全てフィクションです。実在の企業、団体等とは一切関係ありません。
また、私の頭で適当に考えたものなので、あれやこれや、こうこうこうでこうだ、あーだのこーだのと指摘されてもごめんねごめんねーとしか言えません。悪しからず。
※以下言い訳※
大阪電気軌道(後の近畿日本鉄道。以降、「大軌」と表記。)が計画していた路線である四条畷線。1920年代、大軌は伊勢進出に力を入れていたため、四条畷線の建設については急を要さないと、先送りされていた。しかし、1929年に東大阪電気鉄道という会社が森ノ宮〜四条畷〜奈良間の鉄道敷設免許を取得してしまう。この免許線は大軌の権益を損なわせる恐れがあったことから、四条畷線の建設が急がれることとなった。急遽建設することになったため、奈良線との接続駅は暫定的に額田駅となり、奈良方面への直通を放棄した。また、起点駅は当時計画されていた京阪梅田線に乗り入れすることを見越して、京阪の蒲生信号所付近に大軌蒲生駅を設置しようと考えていた。しかし、計画が杜撰であった東大阪電気鉄道の工事は凍結。また、付近を走る国鉄片町線の電化が完了。さらには、京阪が経営危機に陥り、梅田線計画が破棄されてしまう。この時、大軌は既に四条畷の工事に着手していたため、後に引けない状況に陥る。結局、大軌四条畷線の大軌蒲生〜額田間が1938年に開通し、奈良にも梅田にも直通することはなかった。近畿日本鉄道の発足後、天王寺線が南大阪線と改称されたように、四条畷線は北大阪線と改称される。1964年には生駒トンネルの切替によって奈良直通を実現させた。1970年代になると、一度断念した梅田乗り入れ計画を復活させる。その全容は、まず近鉄京橋駅を地下化し、その先の谷町線南森町駅付近に中間駅を1つ設置。梅田側は、阪急梅田駅の神戸線ホームを地下化(それに伴い中津駅の神戸線ホームを撤去)。近鉄と阪急が梅田を介して相互直通運転をするという壮大な計画である。1992年に建設が開始され、1995年の阪神淡路大震災により工事を一時中断するも、2000年に近鉄梅田線として全通。奈良県と神戸地区が一本で結ばれた。因みに、阪神電気鉄道は1998年に山陽電鉄との直通を中止しており、西大阪線の難波延伸計画も阪急との経営統合以降に凍結されている。また、史実のけいはんな線は、けいはんな高速鉄道という第三セクターが事業を行うも、長田~生駒間までの開業に留まっている。
本動画では近鉄・阪急・山陽直通列車の最長運用である、須磨浦公園〜近鉄奈良間の駅名を歌っています。
※ここまでフィクション
【あとガキ】
直通しているのに車両の規格が異なるじゃないかというツコミが来るかもしれないけど、史実でも近鉄と阪神で車両の規格がちげから良いことにしようね億3。
あと、このどーがの主旨は近鉄奈良線の直通先が梅田を介して阪急方面といふものにするために歴史を改変したというだけのものですますよ。
【まめちきし】
なかやまきんに君の本名はなかやましょうじ
。
