『遠い山なみの光』 ゲスト:石川慶監督
[音楽] こんにちは。あ、え、昨日の映画団機、え 、ついにですね、え、東山並の光の石川県 監督をお招きする形になりました。え、 石川監督はあの昨日実は札幌国際映画祭が 20周年になるということで、え、久し ぶりに札幌お越しになって大好きな札幌で いつもありがとうございます。そうですね 。毎回毎回読んでいただいてありがとう ございます。 え、もうそのぼれを絶対もらわらないという形で石川さんにですね、あの、ちょっとこう東山の光のこと今日はですね、え、短い時間ですけれども、いろんな意味で、え、素直にお答えいただけるという風なことになっておりますので、どうぞ、え、ご期待ください。 はい。 神あん時は [音楽] [音楽] 1人で立ってられんかったんです。 あの辺は原爆で何もかも吹っ飛んじゃったからしばらくは本当に大変だった。 君があの日被爆戦やったとは本当に良かったと思るとよ。 次郎はあんたには優しかね。 Wonderful notさち子さんに言っとらんことなると [音楽] 君にももう少し母親らしく振るまってもらえたかよ。 母親 らしく振る舞うって何?今まで言ってきたいろんな言葉諦めるってこと?分かるわよ。私たちは似てるものとっても私のせいなんです。 [音楽] あんたのせいじゃない? いえいえ。マリカ 大丈夫ね。希望のアルトやも。 [音楽] 山波の光。 [音楽] それでもう早速ですけれども、まあ今回、ま、もうこれは常にもう語っていたことですけれども、ま、やっぱり今回こういう風な形で和井黒さんの原作を映画化することになった経緯をちょっと簡単にまずお話していただきますでしょうか? そうですね。 やっぱり、ま、和石黒さんずっと読んでたのでつかやりたいなと思ってたんですけど、なんかあれよ、あれよとこうノーベル賞撮られて、あの、ちょっとさすがにノーベル賞作家の原作はハードル高いねって言って結構企画書まで書いて取り下げたみたいな経緯もあったりして、それが、ま、やっぱり戦後 80 年でやっぱりこのレビュー作のこれだけ映画化されてないっていう中で うん。うん。 ま、ちょっとまだ早いかなっていうなんか恐れ多い気持ちもすごくあったんですけど、でもま、そんな言い訳ばっかり知ってもいいられないなっていうので、もう本当に今年やんなきゃっていう感じで動いたっていうのが最初ですかね。 [音楽] なるほど。なるほど。あ、じゃあもう石川さんずっとこれを取りたいなと思ってらっしゃったんです。 そうですね。ま、これに限らずなんですけど、あの他のやつもなんか日本に本案したりしたらどうなんだろうとか色々そんなことを考えて読んでてえ。 あの、時間のない中であれんですけど、さん、石軍さんの魅力ってどの辺りで石川さんを取られてるんですか? 僕は石黒さんは本当にノーベル賞取る前からすごい読んでたので、あの、全然そんなにノーベル賞作家かっていう難しい [音楽] 大作家かっていう印象じゃなかったんです。 あの、どっちかというと村上はさんとかと同じぐらいのテンションで読んでたところがあって、ポールオースターとかなんかそういうこう自分が好きなん 作家の中の うん。 そうだから本当若い時にすごいわかにされた感触がずっと残ってていつかいつかっていう感じですかね。 なるほど。なるほど。 ま、それでその実際にこう撮られてですね、ま、今回あのちょっと内容の前にやっぱりこう僕らも見てですね、とにかくやっぱりスタッフというのか、もう撮影も美術も編集ももう全部がですね、素晴らしくてですね、ま、あの神の細部に宿るじゃないんですけれども本当に小さなディールの積み重ねでこの全体がやっぱり出来上がってるということ。 [音楽] 要するに単なるお話だけじゃなくて、やっぱり映画としてのこの魅力がもう満載だと僕らはこう見た時でそこら辺のちょっと先にそういう辺りの話をちょっとお話できればなと思うんですけれども、まずうんのうんですよね。 はい。 あの、僕らも初めて見た時、ま、大体皆さんあのそう感じると思うんですよ。 例えばあの団地を円形でこう捉えてると うん。 どうも断地っていう風ななんか違うような後ろも空だけだしでやっぱりああいう風なことにのものってのはやっぱりその越え越え子の回送する記憶の世界だからみたいな感じで考えていいんでしょうかねその辺りと そうですね答えで言うとちょっと 2つアプローチがあってま 内容的な話で言うとやっぱりこの子のうん 記憶している長崎であるっていうことはやっぱう すごく大事だろうって思うと、この時代交渉全部やって寸分長崎を作ったところでうん。うん。 [音楽] ま、これってもうちょっと引いて考えると和夫さんがイギリスでうん。 5 歳まで過ごしてた長崎を 書いてるものなのでうん。うん。うん。 長50 年代長崎に近いかもしれないけれども和さんが思い描いた長崎に近いかどうかはちょっとクエションマークだねっていう。 ああ、 なんかそういう意味合いでもうちょっとなんか最初に作った団地がなんかすごく地味なうん 感じのつものあの LINEの入った のあれが出てきた時にもうちょっとなんかできないかなっていうので [音楽] うんうんうん だったらっていうあの柄が出てきたりとか うん まあ衣装だとかもちょっとだけこうあのっていうのもあるんですけどまそれ以外にも本当に 今回 そんな にすごい予算をかけて作ってるわけではなかったっていうあの CG とかそういう意味合で言うとあの本当はもっとスペクタクルに長崎っていう広い絵をどんどんどんどん出すっていうこともできたと思うんですけど うん なんか今回もっと うん うん 人にフォーカスをした方がいいよねってなんかそれであのしシネマスコープよりもやっぱりヨーロピアンビスターってだんだん うんうん 少し絞っていってなおかつ多分そんなにスペクタクルにいろんなものを見せるっていうことじゃなくう うん。 ちょうどその時にあのアンソニーホプキンズのファーザーっていう映画やってて、 [音楽] あの時に 多分そんなに絵をわっと広げなくても 同じ部屋なのにどこかこう あの自分の部屋だと思ってたものが実は あの息子の部屋だったみたいななんかそういうこう 編集だとか画格だとかそういったもので世界観をこうぐっと広げられるんじゃないかっていううん なんかそうい そういう意味合いで、こうビジュアルのこのコンセプトと少しフィクションを入れていきましょうっていうのが決まっていった感じですかね。あ、なるほど。なるほど。 じゃ、あの、基本的にはもちろん指示とかも使ってらっしゃるけれども、やっぱりそういう記憶っていうかおっしゃったそういう風なこう数さんのものと、ま、え、実際の子新のとかいろんなそういうものとしての記憶として、ま、描いていくというのがんですけれども、あのでもいいこう中はスタジオのセットです。 [音楽] でしょうけど、野外のセットとか長崎のあいのはどういう風に作ってる? はい。 長崎電車とかあれはあ、電車もうここあ、もうあのつも時代物作る時に使うオープンセットがあるんで、そこをまた見る人が見ればあそこだって。 [音楽] [音楽] 自分は結構最近今年のあの戦後 80 年またやっぱあそこ使ってんの思いながら見てるんですけど。 なるほど。なるほど。 ま、そことか、えっと、塚本深夜監督がおかげとかで使ってた、あの、ちょっと古い街の掘ってるところとか、そういうところをうまく使いながらって感じですかね。 うん。なるほど。あ、もちろんだからあのさ子の方の家というあの小さなあれはもうオープンの外観はオープン説。 そうです。外観オープンで中はスタジオで作るっていうという感じですよね。 あの外観が結構大変であのですね。 もうあの沼ちに立てちゃいけないって言われてこう 2 時間で撤去できるようにしてだから中作れなかったんです。こうあでもうほった小屋みたいな感じに しててでもなんか急にすごい雨が降ってそれでぐちゃぐちゃになっちゃったんでこうしょうがなく板張ってみたいな おお あの外のセットは本当大変でしたね やっぱりそうですよね。 ま、でもその、ま、例えばそのそこら辺なんで今お話の流れたとやっぱビ術とかのこうの皆さんがこう要するに調べれば調べるほど長崎のあの [音楽] 52 年頃っていう風なことのはその僕らがどうしても長崎って言ったらみんな原爆のイメージを持ってて後復興していくと言ってもまだ [音楽] 7年ぐらいのところだから うん。 こうあんな風に書きが溢れたみたいなイメージじゃないんじゃないかという風にどうしてもね、やっぱりもうそういう面で偏見かもしれないんですけど、やっぱりそういうイメージを持っちゃうんですけど、 そのやっぱ調べれば知られるほど あんな風に書きがあったみたいなことってのは石川さんどうだっもう戦後 7年経ってるんですよね。で、 うん。 やっぱり自分たち、自分もそうでしたけど、やっぱり白黒写真のやけの原っていう、ま、映画とかでも繰り返し、そこばっかりこうやっぱフォーカスされてますけど。うん。 でも7 年経つと実際駅の周りにはその要塞学校みたいなのがすごいっぱい立っててそれで みんなあの総園の雑誌からパターンをこう ああ 売ってるわけじゃないのでこうみんな来てこう来てそれでいいこう米軍のあの影響でジャズとかそういうバンドとかがキャバレーがいっぱいあって うん 実はもう本当にオ康次郎映画の一歩手前ぐらいの時期なの で、ああ、なるほどなるほど。 なんかそういう時代だったんだよなって逆にその時代って日本がそんなに取り扱ってきてなかったような気がするっていうのは そうなんですよね。 そこすごくこう斬新だったというのか僕らも本当になんか全てやっぱ報道とかいろんな意味でのこうイメージで結局与えられたイメージで捉えてしまうっていう危険性がすごくあるなていうのもちょっと思いましたね。やっぱりね。 そうですね。 あの時代カラーで見るっていうだけでなんかすごく新鮮なところがあっ そうですよね。 あ、だからやっぱりあのカメラマンのあ、すいません。カメラの名前がくどす 申し訳ないです。ずっとおけされてずっとねカメラやってらっしゃるのに名前がどうしてうまく覚えられんですいません。 で、あの、やっぱすごくイギリスのところとやっぱり長崎のところと式町なんかすごい変えてやっぱり見事なこう退避っていうのかよね。 そ、そこら辺のがこうお 2人でどういう風なこの話になった? ま、やっぱり色々あの、その当時のあの、ま、おずさん うん の映画のフレームを色々見ながら、ま、あの、当時のちょっとテクニカラー的なこの色の出方ってちょっと独特じゃないですか?ちょっとパステルの若干ペタッとした感じもありつつのうん。 なんかそれがすごくリアルだったんじゃないかっていう感じがして。 で、ただカメラとレンズは全部共通してるので、あの、イギリスで何か変えたってわけじゃなくて うん。うん。 やっぱり美術衣装さんの持ってきてくれたカラーっていうのはすごく大きかったと思います。 あ、そうか。そうか。そうか。そうか。 そうなんです。だからちょっと話戻るんですけど、あの美ジ術さん、衣さんはもうあの和が妻さん、高橋さんってずっと一緒にやってる人たちで [音楽] うん。 ま、今回本当にあのちょっと抽象的な うん。うん。 話がちょっとあるじゃないですか。あのえ子とさ子が少し苦していくみたいな。なんかそういうことを意装で何かできないかだとか。うん。うん。 ま、さ子の家を作るにあたってもう これはイギリスの稽古の部屋廊下の奥に暗くあるこの うん。うん。 奥の方にいるこう闇の中にたんでる稽古の部屋っていうのと [音楽] さち子の部屋っていうのは 多分時候をこうやってちょっと共明してるんですよね。 みたいな話の中で美術を作ってもらう。ま、だから 外観よりもさ子の家って縦全然長いんですよ。こう うん。 ああ、 もっともっと奥が欲しい。奥が欲しいっていう感じで。 で、ま、団地とかも実際の尺だと うん。 やっぱ三浦さんとかって うん。 あの、たっぱもやっぱりあるので、なんかすごくせこましい感じになっちゃって、これもう [音楽] 23cm 天井上げられませんか?みたいな。 美術からするとそういうことやると、あの、企画が変わっちゃうから縦とか全部作り直さないといけないので うん。 相当大変だったと思うんですけど、でもそういう細かい調整を、ま、衣装もそういう感じです。 少しずつ現代のもの、イギリスのものみたいなのを 入れながらなんかこの抽象的なこのこっちがやろうとしてることをこうサポートして作ってくれたっていう話ですかね。 そう。なるほどね。だから結局やっぱりそのそういう面でろんな意味でのこうリアズムじゃなくてあ、こう 1 つのまなんか繰り返しなりますけど記憶の世界のようなところの皆さんでこう作りなったみたいなことでいいや本当にあのチーム力がすごいな。 という風に、え、いや、もう僕もう見た時にうわあ、本当にあの昔の日本映画という風なもう僕らがあのやっぱり勉強なも含めて自分もまだ 生きてなかった。その昔のあの当時の日本映画やったこういう色だったんだなっていうのがもうすごく すごくなんかなんていうか自分は生きてなかってリアルタイムで見てないんだけどすごい懐かしさを感じるようなものがありましたよね。 はい。うん。うん。うん。 [音楽] ということでさ、そろそろ広見市配人にもいたで、まず内容の方にちょっとね、少し会っていきたいと思うので、あの、見てどうだったかってまず感想をお願いします。 あ、そう。 うん。 私は最初に見た時にああ、映画だなって思いました。 [音楽] あの、原作はまだ読んでなかったんだけど 、こう本にしたらこれ、これはできなかっ たことがたくさんあるんじゃないのかなっ ていうくらいあの映画の醍醐みみたいな ものをすごく感じたっていう気がしました 。だからこれがどう繋がっていくかとか いうこと以上に見ていて目に入ってくる ものとかこう彼女がこう記憶していること とかその中で追い目を抱いていることとか いろんなものがもうごちゃまちになる くらいこう渦を巻いててでその中にあの 女優さんたちというか子がいてさ子がい で、で、もう 1人のえ子がいて うん。 で、マジ子と稽古子がいるっていうその時に私最初に見た時には あの2 期の存在ってあまり自分の中に入ってこなかったんです。 で、その女性たちのところの行みたいな ところがすごく気になって見ていて、で、 見ていた時にこう少しずつ像が全然違う 顔立ちなのにみんなの像がこう重ない瞬間 に出会った時に本当に鳥肌くっつくり あそういうことだったんだっていうような 思いがそれが本当 に映画のあ、映画の醍醐みっていうか映像が持っている力って こういうところにあるんだなって思ってみました。 ありがとうすごい嬉しちゃったんですよね。 いや、あのフレットと吉さんもおっしゃってるけどリンクするとのあれが感じた時にうん。 ぐわーっと来るっていうのがやっぱりあそこですよね。ダイナダイナミズムっていうのかこうやっぱりこの映画の感じるところでであのうん。 [音楽] あ、あの、石川さん、これ、あの、僕も後で知ってたんですけど、あの、原作が初めに、あの、 82 年作られて出て、初めの時の砲題が、あの、女たちの遠い夏だったんですよね。 で、それを今回飲んで変えてるという風なもさしくなんか僕思ったのはこう女たちの遠い夏からこの遠い山波の光っていうこの行くこういうプロセスことがこの制作そのもんだったような気がしたんですけど。 なるほど。なるほど。そうそう。 ただ、あの、タイトル時点自体は、あの、えっと、は川所さんが、えっと、現在の、えっと、ファンを、あの、出版された時に結構前に変えられてたもので、 それこそこの映画って吉田桐がずっとあの、やろうとしてて、その時に女たちの遠い、ペイルビューとかなんかちょっとあの、そっちの、えっと、昔の、えっとタイトルを使ったようなシナリオが出てきてきたと思うんですけど [音楽] うん。 ま、自分たちの時にやっぱすごく思ったのはこの光っていうのがあるのがなんかすごくいいなって うん。うん。そうですね。 うん。うん。 なんか過去、まあ 80年代も50 年代も今からすると遠い過去ですけどなんか うん。 それこそこう照射して跳ね返ってきてむしろ未来を照らすっていう形のやり方がやっぱり今自分たちが作る意味なんじゃないかなっていうのでやっぱこのタイトルがいいんじゃないかって話に うん。うん。 うん。なるほど。そうか。そうか。だからやっぱりそのポイントとしてはその本当に光っていうことがすごく、ま、あの撮影自体も本当にあのメ面と言えるあの光で表現されるバイオリンのあのシーンなんかは本当に象徴だと思いますけど、あらゆるとこにそういう光があってうん。 で、やっぱりあの2 人、あの越え越え子とさ子のがやっぱりあの長崎を眺める時に まさしく山投を見ていくというあそこのところの光っていうのがやっぱりあ、そういうことなのかみたいな感覚をやっぱ生まれましたよね。なんか [音楽] うん。 そうですね。ま、この話の場合はやっぱりどうしても原爆を扱ってるので光っていうのはやっぱその光でもある。 うん。うん。うん。だからなんか100% 希望だけの光じゃなくて、もうちょっとそこには何か闇みたいなものがあって なんかそれってこうま、え子が語った過去も うん。 すごくポジティブなものでもあるけれどもすごく うん。 その後悔だったりなんかそういう闇みたいなものもあって うん。 なんか今回の話ってやっぱそういうことなのかなって。 エ子さち子ってのもどっちがでどっちがいいんとかってことじゃなくてやっぱそれはシェアしながらやっぱり うん。うん。 うん。 うん。なんかこうその方純な曖昧さというかなんかそういうものがやっぱり原作の中にあってそれはしっかりの中でも うん。うん。 変に単重化しないで作りたいなってのはすごくありましたね。 うん。そうなんですよね。あのよく言うにあの謎解ではないのでうん。 だからやっぱりあのこう、ま、当然ですけど僕らも人間というものはいろんな多面的ないろんなものが混じってるわけですからね。 をこういう風なもの、こういう風なものっ ていう風に区切ったりはできなくて、 やっぱりその越子の内区のやっぱりそこの 持ってたあのいろんな記憶というものが ものすごくこう中で混乱していて後悔な ものはあるで、あの もう1個その後な形のところでその戦後の 原爆という風なところで言うとあの三浦 さんのね役の小方先生というえこの存が やっぱやっぱりこれはやっぱり こう絶対なくてはならない。 はい。はい。 僕も1回見たに唐にあれがあの 2 人のが出てくるんでちょっとびっくりしてん。 これどこどあれだっただっけとか思ったんだけどやっぱま、ちゃんと船はあの初めちょっとあるんですけれどもでもあそこのところのやっぱりなんかあのこれもパレと思うと三浦さんがやっぱりこう負けたのは原爆なんだというこれを是非共調したいっていうご自身がおっしゃったっていう風に 言ってましたけどやっぱそこがものすごい大きなポイントになるんですね。そうですね。 やっぱりなんて言うんでしょう?ま、おっしゃられたみたいに全体の話からするとやっぱ女性だけの話に絞った方がいいんじゃないかってのはもちろんえっと政策段階でもすごくあった話ではあるんですけど うん。 ただやっぱり、ま、今回やっぱりあの時代のことを語るってなった時にやっぱりどうしても原爆というと被害者性ばっかりにすごくフォーカスは いくけれどもなんかさっきの光の話じゃないですけどそこにはやっぱり闇の部分っていうのは反対のビクトルも絶対あるはずでうん。うん。 なんかそこを越え子がしっかり乗り越えていくことっていうのはなんかそれがないと越え越え子がじゃあイギリスに行きますみたいなことって うん。 ちょっとそれだけで解決しちゃっていいのかっていう感じがして。 うん。 そうですね。だから本当に三浦さんのあのちゃんとここで原に負けたんだっていうその うん。 なんか古い価値観の男がしっかりこう退場してくことが大事だっていう風に三浦さんに言っていただいてあれはすごく大きな [音楽] うん。うん。 うん。 ことだったなと。 うん。あの存在があることでやっぱりすごく お話に深みが出たってや。 それはすごく感じます。 うん。そうだよね。後で残るんだよね。すっごく残るんだよね。実は全体の流れで。うん。 うん。 前を向いてるだけじゃなくて、あのそうできない。どうしてもそこにきつけない。 ははい。うん。 すごくなんかよくわかるというか。 うん。 エスコはそれも理解しながら はい。はい。 自分が進みたいって思える存在ですよね。 そうですね。 うん。 あの、だからこう三浦さんのやっぱりあの役の存在て、ま、ある意味でやっぱりその先ほどおっしゃった加害性という風なことをやっぱりそういう風に、 え、三村さん方先生は教えてきたわけですよね。 戦争の中で要するに天皇がという風な形の中でこの戦争が正しい日本がていう風なことを教えてきたい。やっぱりそのことがやっぱりあの何度もこう出てくるけど変わらなくっちゃという風なことだけどやっぱり男は結局変われないんだよねっていう風な はい。はい。はい。 この男としてはていう本当に女性たちは何らかの形でなんか光を見つけて 向かっていこうとするんだけど男は変われなかったってこれって あのこうイジ君パンフレットの中であの三宅さんが見事に語ってるけれどもこれ今の日本の現状みたいなこととすごくそう要するに男社会のが変わらない形で女性たちがどんどんこう変わっていこうとするんだけどそれを変れな 男たがすごくいてていうもの象徴的な感じでうまく語ったなていう そうですね。 もう男は対立してで女性たちはむしろ連帯して重なっていくっていう やっぱりそうですね、ま、これを添黒さんが 25 歳の時に書いてるっていうのは脅異的だなと思うんですけど。 そうそう。私もさ、あの、5 歳からイギリス行かれたっていう中での記憶の長崎があって、 で、日本には1度も はい。 その書いてる段階では ええ、ええ、ええ、ええ、 訪れてないっていう中でここまでのものって作れるのが すごいなって私は思いました。 すごい。 あと本当和夫さんすごくあのカヌとかでお話した時にやっぱり女性たちの物語なんでその女性のことを書こうと思ったんですかみたいな質問が来た時に加藤さん うん。 いやそういうつもりは全然なかったなと。で 80 年代のイギリスっていうのはフェミニズムっていうのはすごく大きなトピック。 今以上に大きなトピックでそれは女性たちにとってじゃないだけじゃなくて男性にとってもすごい大きなトピックだったんだとなんかレストランに行ってもどう振るまったらいいのかへ [音楽] 親から学んできた言葉に関してもこれは言っていいことなのかどうかっていうのがすごく実際的な問題として自分の中にあった だからそれが小説に出ただけで別に女性たちのことを書こうと思って書いたわけじゃないんだっていうなんかそういうようなことをおっしゃられてて [音楽] なんかそれがこうなん か自分にとってなんて言うんでしょう?女性をエンパワーしようみたいな うん。うん。うん。 ものとは全またちょっと違うこうすごい新しい感覚のうん。うん。 あの女性映画としての魅欲みたいなのがちょっと自分の中に見えたところがあって。 [音楽] ああ、そうか。そうか。ま、それでだから 2 期の存在っていうのはすごく大きいんですよね。 結果的には。 だから初めどうしてもこう、あの、見にお、あの、やっぱりその [音楽] 2期の2期はとりあえずその母親の そう、そう、そういう役なんだぐらいの感じでこうやっていったんだけど、その 1980 年代の初期のあのことは殺家チャー政権がイギリス出ても、え、イギリスがひどいことの、ま、もうあの労働者がどんどん切られて首切られて新住主義が初めてね、出てきた時代。あ、そうか。 [音楽] あの時代なんだと思うと、あの 2 期のこう戦い方みたいなことを感じ方っていうのがすごく重要な位置にいたんだなってことがこれ申し訳ない 1回目でそこまで感じなくて 2回目見た時にそうそうだよ 2 期なんだよなとかなんかこうちょっと思ったとこがあったんですけどはい 2期に関してはどういう風な形でやっぱり 2 期はやっぱりこれに関しては本当日本人の観客の皆さんとイギリス の 皆さんの受け取り方全然違うんですよ。 ああ、やっぱりね、 やっぱりイギリスの方たちは 2 期を通してやっぱ見るところ多くて、それこそグリーナムコモンの はい。1 つとってもイギリスの人たって あ、 あったわ、あったわ。 私も言ったわっていうそのなんて言うんでしょう? 本と肌感覚として覚えてるものがあってそこでまたギュッと入り込めたりもするのとやっぱりイギリスとかって本当に移民の方結構多いであのうん。 [音楽] ま、母親ちゃん世代が自分の国から出て、あの、香港から出てイギリスに来ましたとか、インドから出てイギリスに来ましたみたいな人たち本当に多いので、 その2 期に対するシンパシっていうのはやっぱり全然違うところがやっぱりうん。 うん。ま、そうか。そうか。 なんかそこが扉になって長崎の越え子を見ていくっておそらくちょっとストーリーとしても違うものを見てるような気がしなくもない。 そうね。私たちは 長崎から入うん。入ってくからね。 うん。うん。あ、 だからそのやっぱりそのうん。そこでのうん。 少なくともその2期の存在っていうのが やっぱり、え、こう、 あの、いわゆる越子よさんのですねが、 こう、それで、ま、じゃあ語っていくって いう風になるわけだけど、その語っていく ことによってやっぱり自分の過去の後悔と かいろんなことがやっぱり語ることによっ てやっぱりある意味では癒される部分も あるし、ま、ファストカットがまさしく寝 てるところのあれでしたからその悪もまた あの、悪い夢を見てしまったみたいなこととかやっぱりそういうこう彼女がやっぱりずっとこうイに来て以来ずっと抱えてたいろんなことがやっぱり語ることによって少し少し自分がやっぱり ある意味でなんとか うん。 越え子吉さんもの役の子も生きていこうと はい。 するっていう風なやっぱりそういう語るっていう風なことなんていうか聞いてもらうわけがいるってことってすごく重要だなって。ま、こ逆に僕らの日本側から見ると本当にすごくそういうこと思ったんですけどうん。うん。え、 [音楽] 私ねなんかどこまで言葉で一気にエス子は話してるんだろうなっていう風に逆に思えて。 うん。うん。 私たちは映像で見ている。 あの、え子のあの記憶みたいなものを辿どってるんだけど、果たしてえ越え子はあのミキにどのくらいの言葉でそれがあの伝えられているんだろうなっていう風になんか思って [音楽] そうですね。2 期は書いてますからね。そこはやっぱり書くっていう作業は穴を埋めてくことにはなる。 うん。うん。うん。 そうなんか不思議なギャップを感じました。 はい。 でも なんかそれがすごくなんて言うんでしょう?こうどこまでが本当だったかとかていうことってなんか自分の経験からすると本当に 祖母から祖母満州から引き上げてきてるんですけどあの その話を結構聞くんですけど毎回断片的なんです。で、大体同じところで泣いちゃって話が先に進まなくてうん。 ま、亡くなった後にあ、ちゃんと聞いときゃよかったなって燃票にしときゃよかったと思ったんですけど、でも今思るとその断片的な なんかおじいちゃんは満鉄に務めてたとか言うけど、なんかちょっとよく考えるとなんか辻つまらなかったりするのでこれ違うんじゃないかなとは思うんですけどでもうんうん。 なんか今は祖母がそうやって覚えてたっていうことがすごく うん。 愛しいというかなんかそれが祖母のどんだけ苦労してきてどういう時代を経験してたのかっていうのがもう多分年でこう正確に分かることよりももっとしっかり感じられるっていうか 全然 うん。 なんか2 期がこう最後に受け取るものっていうのはなんかそういうものであってほしいなっていうのが希望としてはあって うんあそうですね。うん。うん。 ああ、そうか。そうか。 話、あの、なんか僕なんかもね、もう僕の親父は早く死んだんですけど、あの、もろあれなんですよ。あの、戦争に行ってる時に今でうみたいな人なんですよ。あの、パンチみたいな で戦争に行って戻ってきたら うん。もう要するに差に行ってるんですよ。 [音楽] あ、え、中国からですか?ちょっとこではなく そこの場所分からないんですけど、僕そうとにかくそういう態度がものすごく表してるんですよ。 うん。 そうで共産党に入等で、ま、で、共産党を逆に言うと追い出されたりしてるんですけど、なんかもうあのも精神ね、もうなんかものすい揺れ覚えていただ でもだからやっぱりその今おっしゃったようなことも含めて言うとその記憶という風なことっていうのはうん。 そのなんていうか、その記憶がリアルであるっていうことよりもむしろ僕たちのこう生きていくための こう1 つの方法なんじゃないかなていうかだから記憶に嘘があっても僕はいいと思うんですよ。ま、現らも過去のことなんで自分にいいようにこう向けちゃうってそれは別に悪いことじゃなくて 1つの知恵だと思うんですよね。生きて いくんだ。なんかそんな気がする。だから 越子もやっぱりずっとそれをやっぱり自分 がうん、なんか想像した人物だという風な ことかもしれないけれども、そうやって 自分で折り合いをつけようとしていって 語っていったのかなとかなんかこうて思い ます。 石川さんこう初めまなんか答えみたいになっちゃうかもしれないけど どういう風に続けてたんですか? いや、だから本当まそうなんだろうなって、ま、原作は本当にあのほめ化される感じというか、ま、あの呼んでるとこの 2 人は明らかに興味してるなっていうのはそこまでぐらいは多分皆さん感じられると思うんですけど、確信が持てるようなところまでうん。 おそらくないと思うんですけど。うん。 ただやっぱり今回映画化する時に本当に色々細かく知られてくとあれロープエまだないなと 平和記念像ってもうちょっと後だよなみたいなこういろんなねじれがあってあそうかそこまで俺全然それ僕の知らないか そうだからまあやっぱりエコの中でま 52 年だって語ってはいるんだけれどもおそらくそのイギリスに来るまでの間のこ と激道のそれこそあの団地で今まで通り日本女性として暮らしてたかもしれない時期もあって多分その後いろんなことがあって うん 生きてくためには何でもしたっていうさ子じゃないけどそういう時期もあってなんとかイギリスが当たってきて うん でまあ稽古が自殺してしまってひょっとした自分のせいなんじゃないかみたいなことをもし思ってたとしたらこの [音楽] 30年間やっぱり エ子は頭の中でどうい どういう風に反数だろうと思うとうん 、ま、そんな単純にこうこうこうでした みたいな話ではないだろうなって。 そうすると本当になんかさ子え越え越子っていう 2人の会話が その吉田洋さんの頭の中でどういう風にこう議論が 30 年間されてきたんだろうっていうなんかその思みたいなものをうん。 うん。 なんかその変にギミックとしてじゃなくて 多分あの2 人は吉田さんの頭の中で絶対そんな存在してたんだ。 そういうことですよね。 うん。 どっちがこのペルソナとかそういうそうそんなそんな単純な話じゃないていうのは うん。うん。 持ってるうちにやっぱ結構確信に近くなったというか。 うん。なるほどなるほどなるほど。そうですね。いや、本当にね、あの、今世界の状況がすごくやっぱり良くないというかひどいよねっていう風なその中で [音楽] やっぱり僕たちはそれでもやっぱり少しでもいい方向にという風な形でその正義なんてことを語るともういろんな正義があっちゃうからそういう正義っていうことは絶対使いたくないんで。 ですも、でもやっぱり生きていくってことが 1番の 戦いなんだなとか僕は思って。だからこの作品のところを見てやっぱり僕たちはこうやって少しでも光を見つけながらやっぱり生きていこうよと [音楽] みんなで生きていこうよっていう風なうん そういう風にこう思えたりするといいなとかってちょっと思いました。 うん。 なんか最後のところですごく思ったのは、あ、エツ子には 2期が良かったなって 思った ですね。なんか2期はこう本を書くため にっていう風なところでお母さんとの距離 があったけどあのそのことによって お母さんエ子からの話を聞いていく中で 不可快なこともたくさんあるんだけど1月 の母子への思い が今まではあのお母さんは稽古のものて いう感じで2期を持ってたと思うんですね 。はい。でもそのわかりっていうのが少し ずつ溶解 のおかげでなんかいつの時間が時計が 動き出したみたいな気がしてそれが本当 良かったなって思う。なんかラストシーン ンっていうか、あのカに一生懸命詰める あの2人の表情がすごい良くて ほっとしたっていう風に思いました。 [音楽] 昨日でもあのしばらく上位は続きますので、あの一言この収録を見ていただいた皆さんに一言なんかこうアピールしていただけるとありがたいです。 そうですね。 え、やっぱり、ま、あの、ここで、ま、自分なりの解釈みたいなこともちょっと話したりはしましたけど、でも やっぱりなんか、あの、和さんが常々ね教えられてたことで、やっぱりなんか この自分の解釈みたいなものはあるけれども、ま、あの、監督する自分に向けて、あの、 でもこれはもう自分のあの物語は語り手の うん。 所有物じゃなくて、 受け取り手の所有物だから、もう罪のうん。 こう思ったっていうものをそれが正解でそれがあなたの物語でそれを次の人に伝えてってくれっていう話をされて うん。 なんかそれはすごくあったかくて うん。 なんか越え子から2 Kっていうものともちょっとシンクロして感じた部分もあったのでやっぱり、 ま、今回があるなってちょっと難しいなみたいなことあると思うんですけれども、でもなんか皆さんがこう受け取ったものとして吸収してまたそれでこういろんなところで話してもらえたら多少それがこっちの解釈と違ったとしてもなんか全然構わないというか。 そうなんですよね。本当に うん。 なんかそういう見方であの、ま、末長く愛される作品になってくれると嬉しいなという風に ありがとうございます。 僕らもちょっと、え、今度後日またあのみんなでビールでも飲みながらこれをみんなが語ろうという回をちょっとやろうかな。 ありがとうございました。ありがとうございました。 ありがとうございました。 [音楽]
シアターキノ映画談義、前回に引き続き『遠い山なみの光』をご紹介。今回は監督の石川慶監督をお招きして作品との出会いから、撮影秘話、作品への眼差しなど貴重なお話をお伺いしました。
▼作品情報
『遠い山なみの光』
(2025年/日本・イギリス・ポーランド合作/123分)
https://gaga.ne.jp/yamanami/
2017年にノーベル文学賞を受賞し、「日の名残り」「わたしを離さないで」など、映画化作品でも非常に高い評価を受ける作家カズオ・イシグロが、1982年に綴り、王立文学協会賞を受賞した長編小説デビュー作品「遠い山なみの光」。自身の出生地長崎を舞台として繰り広げられる本作は、戦後間もない1950年代の長崎、そして1980年代のイギリスという、時代と場所を超えて交錯する“記憶”の秘密を紐解いていくヒューマンミステリー。
監督を務めるのは石川慶。2022年の『ある男』は、第46回⽇本アカデミー賞最優秀作品賞を含む最多8部⾨受賞という快挙を達成している。また今回の映画化にあたっては、カズオ・イシグロ自身もエグゼクティブ・プロデューサーとして名を連ねており、本作は世界三大映画祭や英国・米国アカデミー賞🄬の常連でもある、イギリスのインディペンデントプロダクションNumber 9 Films、第97回アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた『ガール・ウィズ・ニードル』等で知られるポーランドのLava Filmsが加わり、日本・イギリス・ポーランド合作の3か国共同製作となっている。
主演の広瀬すずほか、二階堂ふみ、吉田羊、松下洸平、三浦友和ら豪華キャストを迎え、終戦80周年となる2025年の夏、女たちがついた“嘘”から始まる物語をスクリーンに描き出す。
シアターキノにて2025年6月20日(金)からロードショー
https://theaterkino.net/