令和最初の甲子園。
王者は履正社に決まりました‼️
今年の甲子園も沢山のドラマがありました。
その分の感動を貰った。
球児のみんなありがとうございました!
まだ、U-18や国体がありますが一先ずお疲れ様でした!
1.2年生は、新チームで更なる高みを目指して頑張ってください。
期待しています👍

⚾️〜あの夏の記憶〜⚾️

甲子園も終わりを告げ、この企画もこれで最終回。
「親への感謝」と題し、20年前にplay Back‼️

この写真は、高校最後の夏に付けた背番号。
背番号は誰でも背負えるものではない。
この背番号には沢山の意味が込められている。
貰えなかった選手達の思いや、親からの期待、監督を甲子園に連れて行くという誓い。
それに加え、僕には主将という1番重いものを背負っていた。
正直、新チームになり、主将を任された時はやってやろうという思いが強かったが、チームがまとまらなかったり、自分が調子悪い時には負のスパイラルが連鎖し、何度主将を辞めたくなったか…
そんな時に自分を奮い立たせてくれたのはやはり親への感謝でした。
僕は、幸せなことに、何不自由なく野球ができ、背番号を貰え、主将までやらせて貰えた。
そんな幸せな環境下で、こんなこと思ってどうする?
今までの親に散々苦労をかけて来たのに、そんなことで弱音を吐くのか?
親を甲子園に連れて行くんじゃないのか?
自問自答を何回も繰り返した。
毎日、朝早くに起き、朝ご飯と弁当の準備をし、昼は働き、夜は僕が帰ってくるまで起きてご飯の準備と泥だらけのユニホームを洗濯をしてくれた母。
一家の大黒柱として働き、高い野球道具を練習や試合で潰しては買い続け、送り迎えなどしてくれた父。
こんなにしてくれた親への感謝のプレゼントは当然甲子園に連れて行くことだった。
この最後の背番号を母に渡す時、
「最後の背番号縫い、宜しくお願いします。」
恥ずかしながら言った記憶がある。
これまで数字は違えど何十回も渡した背番号。
この背番号はきっと特別な想いで縫ってくれたはずだ。
そんな思いの詰まった背番号をお守りとして背負い3年の夏は闘ったが、甲子園には連れて行けなかった。
試合後、泣きじゃくりながら親に
「ごめん、甲子園に連れて行けなくて本当にごめん…そして、今までありがとう。」
と言い残し、家に帰ってから放心状態になってたことが思い出される。
何事も感謝があれば乗り越えられる。
そんなことを学んだ気がする。
勿論、今でも親への感謝は継続中。
この先も変わる事はない。
両親、僕を産んでくれて、野球をやらせてくれてありがとうございました‼︎

〜完〜

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