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この家族はシリアのDeir ez-Zor出身の農家出身。家族には11人の子どもがいました。一人は出産直後に亡くなり、もう一人はシリアで空爆の犠牲になりました。

お父さんは小学校で音楽の先生として働いていて、後に校長先生になったのですが、3年後、戦争が始まり、学校は閉鎖。

その後、お父さんは2人のヤジディ族の女の子を見つけました。その女の子たちはISISから逃れてきた子たちでした。危険を承知で、お父さんはその二人をかくまうことにしました。2か月家でかくまったが、警察に見つかり、お父さんは死刑宣告を受けました。お父さんは刑務所から逃走し、そこから皆でトルコに逃げました。

まずはお父さん一人でトルコに入り、2か月後に家族も合流することが出来ました。家族はシリアの南東から北西に2か月かけて入ったのです。シリアからトルコまでの道のりはとても困難なものでした。母親と9人の子どもたちだけで歩き続けました。彼らはトルコでお父さんと再開し、トルコの農家で果実の収穫を手伝っていたようです。

トルコからは小さなボートに60人もの人が乗り合わせ、転覆の恐怖の中ギリシャに渡りました。子どもたちは他の転覆するボートを目の当たりにしたようです。

お父さんは言いました。
「シリアでは私たちは幸せだった。でも危険だった。今はギリシャでは安全だけれど、幸せではない。将来の計画を立てられないから。今は家族を守ることで精いっぱいだ」

今回、難民キャンプを訪れさせていただき難民・移民の方々の話を直で聞く事ができ、改めて問題の根深さを痛感しました。
私たち日本人には地理上なかなか現実味が感じられないこの問題に、この機会に少しでも多くの方に関心を抱いてもらえたらと願ってやみません。
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