石原さとみ、難民題材の映画を観た直後に寄付「考えられないぐらい悔しい気持ちになった」 『第20回難民映画祭』オープニング上映イベント

あと、えっと、あの海を超えてっていう作品があったんですけど、 あの、本当に見ていただきたいです。 あの、あの海を超えてっていうミステリーかのような構成で、あの、真実が分かってくるこの緊張感とこの美しい映像大皮がすごく印象的なんですけど、あの、あ、何言おうとしたんだっけ? でも味方がやっぱり映画作る人の見方だよね、それ。 はい。あ、本当ですか? うん。 なんか見終えた後にすごく優しい気持ちになったんですけど うん。 もう考えられないぐらい悔しい気持ちになったんです。もうこの悔しい気持ちどうぶつけたらいいんだろうって本当にこう生き通りがあったんですけど UNCRの公式サイトに うん。 行ったら うん。 すぐに寄付できたんです。 数クリックで。 え、ぶつけたの?じゃ、そこで もうでも映画を見て知ってこの想像してこの気持ちが変わったこの瞬間に行動に移せること、その先がもう道が作ってくださってるってことに本当に感謝したんですね。 うん。で、本当たった数クリックでできた このなん、途切れることがなくできたって いうことがあの本当に支援をまな何て言う んでしょう。 なくできたことに対しての本当に皆さんの環境を整えてくださってるサポート力に本当に感謝だなと思いましたし、この気持ちを抱けたことにすごく嬉しいというか、 あの、見ていただきたいなって気持ちに強くなりました。 ご寄付ありがとうございます。 いえ、ほん、本当に本当に思いました。本当にありがとうございます。 ええ、あの、石原さんは以前からアフリカのケニアで井戸建設されたり、ウガダで紛争に巻き込まれた元子供兵の方々とも交流をされ、今でも進行を続けていらっしゃるとお伺いしました。 あの、アフリカウガンダから車で 9時間かかるあのグルーという地域に うん。 バーバラという友達がいるんですね。 うん。 私はちょっと年下なんですけど、あの 彼女はあの子供の頃に拉致されて難民となって元子供兵少女兵として戦うことになりました。あのその当時の紛争は うん。 拉致したらまず自分の母親を殺させます。 そうすると心が崩壊して他人を傷つける ことに抵抗がなくなるそうなんです。 私は今とても幸せなんですけどでもこの 瞬間にも戦争や紛争それらがきっかけで 想像絶するほど苦しを受けてる人たちが たくさんいるって。 で、彼女バーバラさんはその後職業訓練を 受けて自立して今自分で整形を立てている んです。確実に支援が彼女を救いました。 あのまず映画を見ていただいて、想像して いただいて、この支援という形に行動に 移していただけたら本当に多くの命が救わ れるんだなと。 未来が作られるんだなと思いました。はい。 ありがとうございます。 あの、 もう今の、今の締めの言葉ですね。 いやいや、もう本当に、 もう少しお話を書かせてください。あの、宮、みさんに伺いたいんですけど、これまでレバノ、ヨルダン、ケニア、バングラデッシュ、コロンビアなど世界各地の難民支援の現場を訪問してこられました。 現場で出会った人たちとの印象的なエピソードを是非貸していただけますか? そうですね。もう本当に毎回印象的というか本当に毎回衝撃を受けるし本当に今のエピソードやっぱり日本に住んでると考えられないことが世界では当たり前に起こってる。え、自分自身も、え、初めて難民キャンプに行ったのが 2015年。 ちょうどま、アンジェリーナ特殊と出会ってからもう本当に何も知らずに新殿大臣になる前に レバ行かせてもらって やっぱ行くと結構やっぱりそのなんだろうね日本にいるだけじゃ見えてこないってか本当にねいきなりショッピングモール連れて行ってもらったらいいや 3 ヶ月前テロあったんだよみたいないや連れてくないよって話なんですけどなんそういうそのな んだろう危険と隣合わせの生活をみんな当たり前にしてるで ね、例えば第3ค่า下国っていうあの 制度があってこうま、難民としてあの違国 にま、避難してで、ま、そこでその難民と してあの認定されてで、ま、運が良ければ また違う国にこう移住できるっていう プログラムがあるんですね。で、それもで もすごい小さい確率なんだけど、でも 例えば小さな女の子がおばあちゃんと一緒 に住んでて、で、お父さんは 多分国に残って、お母さんは違う男の人と 家庭を作って、おばあちゃんと一緒に住ん でる。で、その女の子だけだったら第3 カ国定住、ま、アメリカとかヨーロッパの 国に行けるんだけど、おばあちゃんと一緒 だったら行けないって。で、おばあちゃん は行けって言うんだけど、女の子は行き たくない。おばあちゃん置いていけない からっていうような家庭があったりで、 毎回やっぱり行くとすごいなんだろう、心 が通じることがやっぱいるというか、結構 ま、波長が合う子がいて、で、初めて行っ た時にうま君ていう何歳だ?7、8歳。 当時だから自分の子供と同じ年ぐらいの子 がいて男の子ででもすごいもうずっとつい てきてもう帰るもうドアが閉まる時まで ずっといて本当にもう俺もやっぱ帰りの 飛行機の中でもう号泣するぐらいやっぱ 自分と同じ年代の子供たちがそうやってね そういう状況で暮らして るっていうでその子 次の年行ったら 会話をしたいもんだから英語を頑張っ てそうそうそう勉強してま言だ で、なんかちょっとこう1年経ってこう ちょっと悪びれてたというか、ちょっと こうとっぽい髪型になってて、で、なんか でもそういうのがどんどん積み重なってで 、ま、コロナがあって自分自身もやっぱり なんだろうなんだろう自分たちも大変だっ たじゃないですか。うん。やっぱ 難民キャンプに全然行けなかったし、ま、 当たり前に。で、ま、その時にやっぱ すごくね、自分地が家事な時に他人の家事 は助けにいけないなってすごく感じた。で 、正直難民問題に、難民支援に関しても すごくなんだろうな、自信がなくなってた しというか、ちょっと無力さを感じてた 時期で、で、2023年昨年かな。久し ぶりにじゃあ南民キャンプに行くってなっ た時にレバノに行こう。うん。で、その、 その男子に会いに行こうと思って行ったら いなくて、 あ、どこ行ったって聞いたら、第3国定住 でスウェーデンに行った。で、それはだ から喜ばしいことで、その子はラッキーと いうか恵まれた。うん。なので、ま、会え なかったんだけど、あの、ま、せっかくだ しテレビ電話でちょっと話をしたい。 で、彼が元々住んでたテントの前に行って、彼とちょっと電話をして、テレビ電話で、 ま、僕とは杯するんだけど、彼の友達もまだやっぱり同じキャンプにいるから、その子たちとこう一緒に会話をしてもらって、ま、そっちの生活どうとか、 あの、おばさん元気とか そういう会話をしてたのはすごいなんだろう喜ばしいことではあるんだけど、でもそこには行けない子たちが うん。 いてすごくなんだろうな、胸が締めつけられましたね。 [音楽] うん。 そんな思い出があったりします。はい。では俳優としても活躍されながら社会課題にも向き合ってこられた石原さんからはい。 第20回難便祭へメッセージをいただけ ますか? ああ、あの、 あの、以前出演したドラマのセリフなん ですけど、すごく印象に残ってるセリフが ありまして、 人なんて皮をげばただの肉の塊だ。って いう セルフがとても印象残ってます。 あの、差別とか分断とか 強く意識されるようになってきましたが、 こうどんなに違いがあったとしても、本質 を辿どればみんな同じ命であり人なんだと 私は思うんです。 なんか、あの、あ、 うん。 な、何言うとしたんだっけ?すいません。あの、も、喋りたいことたくさんあるんですけど、なんか、あの、人間ってこう分からないものに対してこう、こう避けようとする生き物じゃないですか? [音楽] [音楽] うん。 分からないものやことに対して。 でもこう自分の子供はにはこう 違いを恐れない怖がらない 視点を持って欲しいですし自然と外の世界 と繋がれる人になってほしいってすごく 願ってるんです。 最近こう今まで見えてこなかった線が見えるようになってしまっていて うん。 でもなんか喋っても無駄だって思わずに少しずつでも会話を続けていくことがこの見えてきてしまった線を消す力になるのかなと私は思うんです。 うん。 でも、あの、本日はもう遅いんですけど、 明日からまた 子供たちや家族と一緒に 命の尊さとか人を人として見ることの大切 さを伝えて語り合ってきたらなと思います 。

俳優の石原さとみ、アーティストのMIYAVIが6日、都内で行われた国連UNHCR協会の『第20回難民映画祭』の開催を記念したオープニング上映イベントに登壇した。

 日本人初のUNHCR親善大使として世界の難民支援の現場を訪問し、故郷を追われた人たちの声を届けるMIYAVI、特別ゲストとして石原が登壇した。

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