夫婦でたどる 上海センチメンタルジャーニー
今回の旅は夫の出張に同行するという 初めての経験。え、そもそもあの夫と2人 だけで、え、海外旅行するのはハネム以来 かも。そうですね。いつもは子供が一緒 ですからね。ようやく夫婦水らずの時間を 楽しめるような年になったというわけです 。え、上海には何度も来たことがあるので 、え、今回は観光するというよりも、え、 のんびり過ごすことを楽しみにしています 。はい。初めて上海に来たのはいつだろう ?ちょっと思い出せないですね。えー、何 度目かもちょっと分からないのですが、 初めて中国に来た時のことはっきりと 思い出せます。1mの中国は北京で確多分 1980年か1982 年だったと思うんですが、え、その頃の 中国ではほとんどの人は人民服を着ていて 、え、車はまだ少なく、え、道路は、え、 自転車が3いっぱいにこう広がって走って いて、もう相感な眺めでしたね。街を歩く と外国人が珍しかったのでしょうか。え、 じろじろと見られたり人だかりができたの を思い出します。え、北京も上海も、え、 その後のすごい 勢いで開発が進み、もう訪れるたびに インフラや景色が、え、随分と変わって いるのに毎度びっくりします。 え、幼少の頃上海に住んでいた母、霧島 洋子にとって上海はとっても特別なところ です。え、第2位の故郷上海での思い出話 は母からもそして、え、祖母からもよく 聞かされていましたので、え、オールド 上海は私の心の中にもスペシャルな場所と して刻まれています。そして社配は夫に とっても思い出が詰まった場所です。え、 夫はサントリーのウーロン茶の広告を20 年以上も、え、撮影していたので年に何度 も中国を訪れロケハをしたり、あとモデル を探したり撮影をしていました。え、若い 方は知らないかもしれませんが、昔の サントリーウーロん茶の広告は、え、 オール中国ロケで、え、こんな感じの写真 を夫は撮っていました。懐かしい。 [音楽] ホテルにチェックイン。え、私も夫も 大好きな歴史あるホテル和平反転です。え 、和平反転ピースホテルは、え、上海の ワイタンに位置するランドマーク的な ホテルです。え、1929 年に建設され、え、かつては極東地域、ま 、ファーイーストで最も豪華なホテルの1 つとして知られていました。室内は リノベーションされ、モダンで快適になり ました。ロケーションはもう最高です。見 てください。この景色 [音楽] じんちんさんの写真店に伺いました。え、 ゴーさんは夫の写真ワークショップに参加 し、え、夫と一緒に運難賞とチベットに 撮影旅行に行き、とても仲良くなりました 。若干20十歳。この日はまだ19歳だっ たんですよね。え、ゴさんは親営の写真家 でその個性的な写真は高く評価されてい ます。 さんは日本の女子高校の制服のコレクターでもあり、え、今回の古典は友人に制服を着せたポートレートがメイン。わからないだ。こういう部屋スタイル昭和でね。 [音楽] [音楽] はい。 せ子ちゃんカット流行ってリ カちゃん。あ、いい。こリカちゃん。 え、こんなのがあるの?宝塚。 あ、はい。 これは女館とに服がおさんのコレクションのセフがと面白いね。 [音楽] ずらりと並ぶ制服の写真。交渉もコレクションしてますね。 [音楽] え、私はですね、横浜の双葉系列の インターナショナルスクールに通っていた ので、え、制服に双葉のバッチをつけてい たんですが、その懐かしの交渉もありまし た。中国の学校には制服というものがない そうです。だからでしょうか?え、制服、 セラー服への憧れがあるのでしょうね。 純粋で鋭い完成。青春の光と影、苦悩、 迷い、現代の若者の心の揺らぎが感じ られる、え、独特な写真でした。才能 溢れる誤参の今後の活躍に期待します。 誤参を含め音の写真仲間とディナーです。 テーブルが自動で回転します。 素晴らしい。 景色です。え、シャンハを象徴するのはやはりワタから眺めるこの風景でしょうね。美味しく楽しいティナーでした。 平日なのにこの人みでここが私たちが止まる判店。ここはそうですね、銀座みたいな通りですね。すごい人。 はい、ただいま。 これわあ、 すごい。 全部ライチ。 うわ。 美味しそうよ。部屋に戻りごさんから頂い たライチーを食べました。私ライチーが 大好き。 え、原産地の中国でコ来から愛されるライチーは容器日がこしたことでも有名です。美味しそう。うん。美味しい。いくらでも食べられる。 おはようございます。 今日も曇り空 夫の暗室ワークショップが行われる場所に やってきました。 建物も素敵。え、元々お倉庫を回した建物 です。 え、夫は今年の春までたまり玉美術大学で 、え、12年間大学生と大学院生に写真を 教えていました。え、教授なんて、ま、 立派な肩書きがあったとはいえ、あの、 教えてる姿を見たことがなかったので、 いまいちピント来ないままでいましたが、 こうして先生らしい姿を見ると、あ、本当 に先生なんだと実感。 邪魔になるといけないので私は早々と退出 。 ブラブラ散歩がてら、ホテルまで歩いて 帰ります。 上海の銀座とも言われる南金路は観光客 向けの土産物やと飲食店が並び、ま、昔の ような不勢はなくなりましたが、ま、そこ は仕方がないですよね。観光商店街化さ れると、ま、どこの国、どこの町でも似 たりおったりなってしまいます。とはいえ その中にもぼっかりと昔ながらの日常の 余白が残っていたりして、え、そんな余白 を見つけるとほぼほっとするのです。 [音楽] 南金路の1番先にある和平反転に着きまし た。ロビーは昔のまま、え、墓家のドム型 の天井が立派です。ホテル全体はRコ用式 ですね。客室はリノベーションされ すっかり綺麗になりましたが、え、ロビー の雰囲気やこのエレベーターは昔のまま ですね。このレトロな感じが好きです。 さて、これからは1人の時間。ね、いつも は旅先では、ま、家でもそうなんです けれど、もうとにかく忙しく動き回って いる私ですが、今回の度のテーマはもう何 もしない、何もしない上海なので、え、 読みたい本を持ってきました。え、ちなみ に今回持ってきたのがこの2冊ですね。 この1冊は、えっと、アメリカの ベトナム人意味による小説で、え、読み ましたけれど、もう最高に素晴らしかった です。 今朝もバンドとワイタンは観光客で賑わっ ています。え、今日は、え、バンドを歩き ながら4円までお散歩します。 川向こう世界2位の高さを誇る上海タワー や近代的なビルやテレビが立ち並ぶエリア 。え、夜景がとっても綺麗なので、あの昼 よりライトアップされる夜の方が観光客が 多いです。 そしてこちら側には古い西洋建築軍が 立ち並びます。え、かつてはそうです。 100年以上前の上海では東洋の ウォールストリートと呼ばれていたそう ですよ。各国の両時間、勝者、銀行が並び 中国経済や貿易の一大拠点を形成してい ました。ゴシ様式からバロック様式まで 様々な様式で設計された古典的な建築が つまり、素晴らしい景観です。え、綺麗に 保存されていて本当に素晴らしいです。 この公演を抜けたら目的地の余です。え、 上海を代表する観光スポット。4円には 美しい庭園がありまして、え、その周囲に お土産物屋さんや商店などがずらりとロキ をつねています。4円に来たら是非行き たいのが、え、何小マトテって読むの かしら。えっと、あつ樹脂な小が食べ られる。もう超有名店でいつもこのように 行列、え、人がいっぱい並んでいます。え 、いつからかテカウトで食べられるように なったようで、わあ、美味しそう。食べ たいな。テイクアウトしようかなと思った のですが、まあ、1人で外に、外で座って 食べるのも寂しいかなと思ってやめました 。 あ、私が大好きな桐リエが売っています。 あの、桐エとは、あの、中国では戦士とも 呼ばれるのですが、あの、中国の伝統的な 光芸をハサミハサミなどで切って花や動物 、景色などを描くのですが、もうこれが ですね、素晴らしい民間芸術なんです。 応援周辺は、ま、元々観光地ではありまし たが、あの、昔は、あの、前頭高原品の店 やアンティックショップがもっとあって 楽しめたんですが、え、今はやはり似たり おったりのお土産物ばかりになってしまい ました。バンドエリアは古い建物が たくさん残っていて、お向きがあります。 夫の友人に招かれイタリアンリナー 同席していたこの方、なんと中国では根局のスーパースター超純産。 [音楽] え、劇は最も古い中国伝統劇の 1 つで、この方根局のプリンスと言われているそうです。ああ、うっとりしました。 [音楽] すごいすごいね。 [音楽] ちなみにイタリアンレストランはこんなモダーなショッピングモールの中。え、この辺りは日本人中山が多く住んでいるそうです。 変わらない上海、変わりゆく上海、え、 高速道路に乗りながら大都会上海の高層 ビル軍を眺めていると、え、祖母や母から 度々聞かされていた東洋のと呼ばれた疎海 時代の上海のおかげすっかりなくなって しまってるように感じられますが、 ゴールド上海のおかげはまだ所々に残って はいます。例えば、え、先ほど歩いた西洋 建築物が立ち並ぶバンドエリアもそうです が、ここ和平反転でも時代のノスタルジー に浸れる場所があります。それがこの ジャズバー。 前々からここで演奏しているレジェンドが今も変わらず演奏していることで有名なバーで、え、オールドジャズバンドのメンバーはみんなおじい様たち古き良き時代の雰囲気が漂うバーです。 [音楽] 朝食です。 作ってみて。 夫は野菜とサ菜と卵の、え、麺とお粥ゆ、え、私はお粥ゆに卵を乗っけて小論を 2 つ。え、今日はこれから夫の写真も展示している展覧会にて夫のトークショーが行われるので会場で歩いていきます。 [音楽] チベットを拠点としたホテルチェーンの存 が主催している今回の展示はチベットの 歴史と文化を広く広めるためのもの。え、 チベットにゆかりがあるアーティストの 作品主に絵画が展示されていますが、夫は チベットで撮った写真を出展しています。 夫は学生時代からチベットに行くことに 憧れを持っていて、昨年ようやく撮影旅行 に行くことを果たしました。ライカと大型 カメラのディアドルフを抱え、え、標高 5000m以上のチベットの村で撮影した これらの写真。え、鉱山病にかかりながら も撮り続けた写真は素晴らしく、え、昔 ながらの手法で絨毯を負っている人、 小麦畑で収穫をする人々、収穫に家族で 人休みしながら食事をするのが習わしだ そうで、この写真いいですよね。 元のトークショーには参加せず私がいると 恥ずかしがあるので、あの、歩いて先に 帰ります。 洗濯物の欲し方がいいですね。 和平反転で、あの、最後の夜は弟2人だけ で、え、和平反店のドラゴンフィニックス という、えっと 、中華料理店でディナーです。っていうか レストランですね。嬉しいですね。この レストランの雰囲気ないそう。昔から全然 変わっていません。あの夫はサントル ユロんちゃんの撮影の時によくここで食べ ていたそうで懐かしのレストランです。ま 、ロー婦2人だけですからもう麺と小論法 とし素な食事でしたが、え、皮が薄くて ジューシーで、え、小論とっても 美味しかったです。 [音楽] 今日は上海最終日。ホテルから歩いてすぐ 近く母が住んでいたブロードウェイ マンションに行ってみます。最後に母と 上海に来たのは2017年の12月。え、 アルツハイマを患らい記憶が薄れ始めてい た母が、え、まだ元気でしっかりしてる うちに母の第2の故郷、母が大好きな上海 に行こうと弟と母の友人も誘い、上海に来 た時の写真がこれらです。 見えるのがブロードウェイマンション。母 はこのブロードウェイマンションで強烈な 体験をしました。私は散々その話を祖母や 母から聞かされましたが、え、母の言葉で 是非ご紹介したいと思います。母にとって 最後の執筆となったペガサスの記憶から 引用いたします。 昭和15年。3歳の私は両親に連れられて 上海に渡り、ランドマークとしてそびえる ブロードウェイマンションという高層 ホテルのスイートに滞在していた。翌年 12月8日、突然ものすごい強音に 叩き起こされた私はわけもわからず 泣き極めきながら両親の寝室に駆け込んだ 。 父母もすでに置き出してガンをはおり、 テラスのガラス越しに不安げに下界を 見下ろしている。すると突然 ジャラジャラっと異様な金属音が響いて そのテラスの上から鎖伝に降りてきた軍服 の男たちにこの部屋は作戦本部に使うので すぐに開け渡せと命じられ私たちは すごすごと別室に移動した。父は新聞社の オーナーだったからそこへ部下や情報も どんどん集まってくる。あの合音は眼下の 川に低白中のアメリカ感染を日本の陸戦隊 が激沈したのであり、それと同時にハワイ の新珠を奇襲攻撃してから正式に先線付告 したということも分かった と続きは是非母の本ペガサスの記憶を読ん でいただきたいのですが、要するに太平洋 戦争が始まるのをこのマンションから母は 目撃したわけです。同じブロードウェイ マンションに住み、毎日仲良く遊んでいた 母の初恋いのアメリカ少年の部屋は朝に なったらも抜けの殻で一緒に飾りつけた クリスマスツリーだけが虚しくひらめいて いたと母が言っていました。 これが当時の母の写真。え、私の祖父母と おじ様2人が映っています。え、祖母は 人生の中で上海で過ごした時間が1番幸せ だったと言っていました。東洋一の反栄を 誇った祖会時代の上海にはロシア革命や ドイツナチの迫害などから、え、防名芸術 家たちがたくさん逃れていて、え、芸術が 大好きだった祖父母は、え、毎晩のように オペラやバレー鑑賞を大いに楽しんだそう です。 半年ほどブロードウェイマンションで 暮らした後はフランス会の方に住んでいた ようなので、え、前回母と上海を訪れた時 は、え、母の兄に、え、描いてもらった 地図を頼りに、えー、住んでいた家を探し に来ましたが、すっかりビルグに飲み込ま れ見つけることができませんでした。今も ホテルとして営業しているブロードウェ マンションの1階にはその歴史を伝える 展示品がたくさん並んでいました。 センチメンタルな気分に浸った上海最終日 。そんな家族の歴史もあり、上海はやはり 私にとっては特別な場所。今回の上海では たくさんの素敵な出会いもありました。に なった中国の皆様方ありがとうございまし た。シェシェイ再見。そしてご覧いただい た皆様ありがとうございます。それでは また。
桐島かれんが“at Home”をテーマにお届けするYouTubeチャンネル
皆様、沢山のご視聴ありがとうございます
チャンネル登録も、よろしくおねがいします
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#桐島かれんatHome #桐島かれん
10 Comments
烏龍茶の広告の写真覚えてます!懐かしいです~🥰
今回も素敵な旅をシェアしていただきありがとうございます。
以前のモロッコ旅も本当に素敵で、今年モロッコへ行くことにしました!
サントリー烏龍茶のコマーシャル、覚えています。とてもアートなCMだったのを覚えています。
かれんさんのご主人が映像、写真を撮られていたのですね。
上海素敵ですね💓サントリー烏龍茶のCM懐かしい😌雰囲気あって大好きでした✨
何かにつけて感慨深い
❤
カレンさんの動画の音楽心地よいなと思ってます。題名はわかりません。
他の人の動画からあのミュージックが聞こえてきてビックリ同じBGMでしたよ。
確か「烏龍茶はサントリーのこと」なんてキャッチフレーズでしたよね✨
懐かしいです。素敵な動画有り難うございました。かれんさん、とーーーっても綺麗、うっとり❤
いらっしゃい🎉上海
サントリー烏龍茶、レトロかつファンタジックな世界観が大好きでした。
先ほど拝見しました ご主人のお仕事をかねて上海、建築建物が素晴らしくびっくりしました 女性の方の学生服の写真には凄く興味深いです 母校の写真がありました、赤坂にある白いカラーの紺色のワンピースの学校でしたよ💕
Such an interesting post. Thank you for uploading. I am a commercial photographer and the same age as your husband. My first trip to Shanghai for work was in 1999. I hope to return one day soon. BTW. Before I became a commercial photographer I was a director of photography in NYC in publishing. I did not know Yoshihiko Ueda back then but if I had know of him and his work I would have hired him to do shoots in Japan and Asia!