【被爆の記憶を継ぐ】「家族伝承者」語れなくなった父にかわり… 桐谷美玲キャスターが聞く“家族の思い”

こんにちは。 はい、こんにちは。 桐みです。よろしくお願いします。 遠くからわざわざすいません。 広島市の細川洋さん 66歳 父の被爆体験を語り継いでいます。 これが13歳の時の父ね。 うん。 結構ね、イケメンがあったんですよね。 そうですね。男性の 性が 80年経つとこうなるんです。 あね、素敵な笑顔ですね。 ね。 昨年95歳で亡くなった父浩司さん。 17歳の時に被爆し、語りとして 20年以上活動。 この手すりの至るところにのちまみれの手の跡がついていたのを覚えております。 実態と共に平和の大切さを語り続けました。 広島に原始爆弾が投化されて今日で 80年。被爆者の平均年齢は 86歳を超えました。 被爆体 高齢家が進む中、 3 年前から広島市が始めたのが家族伝承者という制度。 [音楽] がたくさんあ 子や孫などが被爆体験を引き継ぎ交和などを通して次の世代へ伝える取り組みです。 え、スパッと どういった経緯でその家族伝承者うん になろうという風に決意されたんですか? そうですね。2020 年からコロナがね日本にこう上陸しまして [音楽] はい。うん。 で、え、ま、世の中に蔓延していく中で父も体調を壊してニュータインを繰り返すようになってい、ちいちも語りたくてももう人前で語ることが物理的にできなくなってしまったんです。 [音楽] [音楽] うん。 語れなくなった父に変わり被爆体験を語り継いで行きたい。 こうした決意から研修や父の聞き取りなどを経て家族伝承者として死の認定を受けたのです。 [拍手] [拍手] お父様も息子さんが継いでくれるってなった時は嬉しかったでしょうね。 そうですね。家族である息子がね、そういう自分の体験を継いでくれるというのはそりゃあ心強いなと言ってね。 うん。うん。 ど顔を崩してね、笑を浮かべて行ってくれましたんでね。ああ、それはまあ良かったなと思いましたね。 [音楽] 細川さんは被爆体験と共に父の妹の生きた証も引き継ぎました。それは今広島平和記念資料館に保管されています。 あ、じゃ失礼します。はい。 こちらの日記になります。 原本なんですね。 原本です。これはこの間までうちにあったんですが はい。 ま、被爆80年をに6月9 日にこちらへ起走しました。 そうなんです。 はい。でもすごく綺麗な状態で残されているんですね。 そうですね。 80 年前の日記です。書いたのは父の妹森脇子さん。 小学校に入学したばかりの 13歳の時に被爆し命を落としました。 日記は入学式の日から始まっています。 4月6 日入学式が行された。兼ねて長年憧れていた第 1賢の生徒になったのだ。 5月2日。 今日は家事で妹の世話について習いました。私たちもやがては母となり、赤ちゃんも育てるようになるのですから一生懸命にやりました。 最後に記された日付は 1945年8月5日。原爆日の前日です。 8 月5日曜日天候は晴れ。 昨日叔父が来たので家が大変賑やかであっ た。いつもこんなだったらいいなと思う。 明日から顔ク会の整理だ。一生懸命 頑張ろうと思う。 綴られていたのは何気ない日常でした。 いや、なんかこんなにね、日常を過ごして いたのが急に パツンとなくなってしまうのをちょっと 本当に戦争っていな思わさ れますね。ですね。うん。 子さんが書くはずだった。8月6日の ページ。本来空白だったはずのその場所に は 可愛いよ子ちゃん。 毎日父の帰りを待って日記をしていた最後 のページを戦い破れて帰った寂しい父が 飾ります。 さんの父からのメッセージが原爆の翌年に出世先の中国から帰国娘の死を知ります。 よ子ちゃんの霊よらかに眠れ。 うん。なんでこんなね、素敵なご家族が辛い思いしなきゃいけなかったんだろうて。 きっとこういう家族たくさん他にもいたんだろうなっていうのをすごく想像してしまって。 そうですね。 うん。 こういう少女が懸命に生きていたし大人たちも うん。 国普通の うん。 生活を 一生懸命それでもやっていて泣いたり笑ったりしながらね。 それがスパッと立ち切られてしまったという理不尽差をね、この日記から伝えていきたいと思いましたね。 被爆の記憶を伝え続ける家族伝承者。活動している 42 人の中には霧谷キャスターと同年代の男性もいます。小方健さん 34歳です。 ま、当時16歳だったおじいちゃんが 16 歳の少年が当時思ったことっていうのをそのまま言葉で伝えるように僕は意識してやっております。 96 歳の祖父松原さんからパトンを受け取った小方さん。 今も2週間に1 回ほどソフト話している大小方さんは被爆者の声をつなぐと大切だと訴えます。 私たち世代ができることってどういうことだと思いますか? 核弾が長崎以降人類の上に落とされていないっていうのは本当に奇跡だと思うんですよね。 うん。 ただその奇跡は偶然ではなく広島長崎の被爆者が訴え続けてきたからこそだと思うんです。 はい。 その助きを決して絶してはいけないと思って活動してます。 そして今日戦後 80回目の原爆の日北斗すぐ歌 [音楽] 細川さんの姿は市内の小学校にありました。 が発してですね、 80年前の今日の午前 8時15 分ですね、一発の原子爆弾が過されて 1年のうちに実に 20え、14 万人が亡くなったと言われています。えっとね、 子供たちの平和学習に生かしてほしい。 中学生に対する 家族伝承者として依頼を受け小学校の教師に和を行いました。一般の方対象にしたをしていました。じゃ、今日という日どのような思い出迎えられましたか? そうですね、まあ 80年 うん。 ですね。 はい。あの日、あの時から 80 年経ったということで、ま、特別なこう考えを持って迎えています。 1 番こう公和の中で大切にされてることってどういったですか? 原爆というものの不理不尽さ不散さを通して命というものの大切さを、ま、伝えていきたい、考えていただきたいと思います。 [音楽] え、何よりもまずは自分の命を大切にする ということ。自分の命を大切にしながら 同時に人の命、それからま、同植物の命 までね、大切にできるような、え、人に なってほしい [音楽]

8月6日「原爆の日」を迎えた広島から、お伝えしています。戦後80年がたち、被爆した方の平均年齢は86歳を超えました。被爆の体験を語れる方が減り続ける中、家族が語り継いでいく「家族伝承者」という制度があります。原爆の記憶を、絶やさない。家族の思いを取材しました。

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https://news.ntv.co.jp/category/society/e90c6f2742d14c91ad3c7b8729a63770

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広島市の細川洋さん(66)。父の被爆体験を語り継いでいます。

父の被爆体験を語り継ぐ 細川洋さん(66)
「これが13歳の時の父。結構イケメンだったんですよ」

桐谷美玲キャスター
「そうですね、端正な」

父の被爆体験を語り継ぐ 細川洋さん(66)
「それが80年たつとこうなる」

桐谷キャスター
「すてきな笑顔ですね」

2023年、95歳で亡くなった父・浩史さん。17歳の時に被爆し、語り部として20年以上活動。

細川さんの父 浩史さん
「この手すりのいたるところに血まみれの手のあとがついていたのを覚えています」

実体験とともに、平和の大切さを語り続けました。

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広島に原子爆弾が投下されて、6日で80年。被爆者の平均年齢は、86歳を超えました。

高齢化が進む中、3年前から広島市が始めたのが「家族伝承者」という制度。子や孫などが被爆体験を引き継ぎ、講話などを通して次の世代へ伝える取り組みです。

桐谷キャスター
「どういった経緯で家族伝承者になろうと決意されたのですか?」

父の被爆体験を語り継ぐ 細川洋さん(66)
「2020年からコロナが日本に上陸しまして、世の中にまん延していく中で、父も体を壊して入退院を繰り返すようになった。父も語りたくても、もう人前で語ることが物理的にできなくなってしまった」

語れなくなった父にかわり、被爆体験を語り継いでいきたい。こうした決意から研修や父への聞き取りなどを経て、家族伝承者として市の認定を受けたのです。

桐谷キャスター
「お父様も息子さんが継いでくれるとなった時、うれしかったでしょうね」

父の被爆体験を語り継ぐ 細川洋さん(66)
「『家族である息子が自分の体験を継いでくれるというのは心強いな』と、顔を崩して笑みを浮かべて言ってくれた。良かったなと」

細川さんは被爆体験とともに、父の妹の“生きた証し”も引き継ぎました。それは今、広島平和記念資料館に保管されています。

父の被爆体験を語り継ぐ 細川洋さん(66)
「こちらの日記になります。この間まで家にあったのですが、被爆80年を機に6月9日にこちらへ寄贈しました」

80年前の日記です。

書いたのは父の妹、森脇瑤子さん。女学校に入学したばかりの13歳の時に被爆し、命を落としました。

日記は、入学式の日から始まっています。

瑤子さんの日記
「4月6日。入学式が挙行された。かねて永年あこがれてゐた第一縣女の生徒になったのだ」
「5月2日。今日は家事で弟妹の世話について習ひました。私達もやがては母となり赤ちゃんも育てるやうになるのですから一生懸命にやりました」

最後に記された日付は、1945年8月5日。原爆投下の前日です。

瑤子さんの日記
「8月5日日曜日。天候は晴れ。昨日叔父がきたので、家が大へんにぎやかであった。『いつもこんなだったら、いいなあ。』と思ふ。明日から家屋疎開の整理だ。一生懸命がんばろうと思ふ」

つづられていたのは、何気ない日常でした。

桐谷キャスター
「こんなに日常を過ごしていたのが急にパツンとなくなってしまうというのもちょっと。本当に戦争ってむごいなって思わされますね」

瑤子さんが書くはずだった、8月6日のページ。本来空白だったはずのその場所には…。

「可愛い瑤子ちゃん。毎日父の帰りを待って日記をしていた最後の頁(ページ)を戦敗れて帰った淋しい父が飾ります」

瑤子さんの父・中さんからのメッセージが…。

原爆投下の翌年に出征先の中国から帰国。娘の死を知ります。

瑤子さんの父・中さんのメッセージ
「瑤子ちゃんの霊よ安らかに眠れ…」

桐谷キャスター
「なんでこんなにすてきなご家族がつらい思いをしなきゃいけなかったんだろうって。きっとこういう家族たくさん、他にもいたんだろうなっていうのをすごく想像してしまって」

父の被爆体験を語り継ぐ 細川洋さん(66)
「こういう少女が懸命に生きていたし、大人たちもごく普通の生活を一生懸命やっていて泣いたり笑ったりしながらね。それがスパッと断ち切られてしまった理不尽さを、この日記から伝えていきたい」

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被爆の記憶を伝え続ける、家族伝承者。活動している42人の中には、桐谷キャスターと同年代の男性もいます。

尾形健斗さん(34)です。

家族伝承者 尾形健斗さん(34)
「当時16歳だったおじいちゃんが、16歳の少年が当時思ったことを、そのまま言葉で伝えるよう意識してやっています」

96歳の祖父・松原昭三さんからバトンを受け取った尾形さん。今も2週間に1回ほど祖父と話している尾形さんは、「被爆者の声をつなぐ」ことが大切だと訴えます。

桐谷キャスター
「私たち世代ができることってどういうことだと思いますか?」

祖父の被爆体験を語り継ぐ 尾形健斗さん(34)
「核弾頭が長崎以降、人類の上に落とされていないのは本当に奇跡だと思う。ただその奇跡は偶然ではなく、広島・長崎の被爆者が訴え続けてきたからこそだと思う。そのたすきを決して絶やしてはいけない」

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そして、原爆投下から80年がたった8月6日。細川さんの姿は市内の小学校にありました。

父の被爆体験を語り継ぐ 細川洋さん(66)
「80年前のきょう午前8時15分、1発の原子爆弾が投下されて1年のうちに14万人が亡くなったと」

“子どもたちの平和学習に、いかしてほしい”

家族伝承者として依頼を受け、小学校の教師に講話を行いました。

桐谷キャスター
「きょうという日を、どのような思いで迎えましたか?」

父の被爆体験を語り継ぐ 細川洋さん(66)
「80年ですね。あの日あの時から80年たったということで、特別な感慨を持って迎えています」

桐谷キャスター
「一番講話の中で大切にされていることは?」

父の被爆体験を語り継ぐ 細川洋さん(66)
「原爆というものの理不尽さ、悲惨さを通して、命というものの大切さを伝えていきたい。考えていただきたい。何よりもまずは自分の命を大切にするということ。自分の命を大切にしながら、同時に人の命、それから動植物の命まで大切にできる人になってほしい」

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2 Comments

  1. 人間の記憶は都合良く書き換わるので、
    全部正しいとは限らないꉂ🤣𐤔

  2. 70年談話の失敗。

    あの文言があるために今の多くの国民は臭いものには蓋をしろ。もう我々はあの悲惨な歴史は見なくていいんだと勘違いしてる。

    継承なんてあったもんじゃない。継承しないが当たり前になってる。

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