【A MESSAGE OF HOPE(連載:希望へ、伝言)】Vol.97 少年アヤ──抵抗せよ! ろくでもないことが起きる明日に向けて

日記風のエッセイで気持ちを綴ってくれた、 エッセイストの少年アヤさんからのメッセージ。

「毎日昼ごろ目を覚まし、業務用スーパーで買ったパスタかうどんをたべる。足りなかったらトーストも。それから彼と交互にシャワーを浴びて、日課の散歩に出る。いい天気だとうれしい。

だいたい1時間ほどの道のりを、なるべく人通りの少ないところを選んで歩く。おかげで好きな路地や、林道への近道をたくさん発見することができた。季節はみるみる動いていて、主役になれないような花や、雑草たちもいきいきしている。空もあざやか。彼はかわいい。ほんの一瞬だけど、まるで永遠につづく春休みの最中みたいな気分になる。

いくつかある公園には、いつも大勢の人がいる。子どもも、若者も、老人もいる。ぼくは足早にその横を通り過ぎながら、ちょっとーー、ソーシャルディスタンスーー、と思う。いまにしぬかもしれないし、殺すかもしれないという自覚が、あまりにも欠如している顔、顔、顔。

しかし一方で、たのしげにあそぶ彼らの様子に、猛烈な親しみを覚える。そしてほんの数カ月前、友人といった焼き鳥屋で、ぜんぜん知らない女の子たちと恋バナをしたことが、途方もないほど昔のことのように思い出される。

そうだよね。みんなほんとは、人のいるところにいたいよね。だめだけど。だめなんだけど。

帰りはスーパーに寄って、だいたい2日ぶんの食材を買い込む。ぼくは入り口に置かれた除菌スプレーを手に塗りたくりながら、呼吸を最低限におさえ、すばやく品物を選んでいく。お菓子コーナーでのんびりしている彼を、はやくはやくと何度もせっつく。そういう自分に疲れる。

家に帰ったら、すぐに手を洗って、服を着替えてから夕飯をつくる。スーパーに、むき出しのまま置かれていた野菜を、しつこく、しつこく洗いながら、ふと店員さんたちのことを思う。

レジにいたのは、学生さんっぽい若者や、母親とおなじくらいの女の人たちだった。ぼくが一刻もはやく脱出したくてたまらならなかったあの空間に、ずっといなければいけない人たち。他人の暮らしを守るなんて大義を、1000円くらいの時給で背負わされている人たち。その人たちを、踏み台にしてつくる、お味噌汁。炊き込みご飯。鳥の唐揚げ。

頭がぐちゃぐちゃになる。

希望という言葉は、いますごく必要で、すごく重いものになってしまった。ウイルス自体もおそろしいけれど、なんといっても政治がひどい有り様だから(マジでふざけんなよ)。そしてそんな政治家に限って、希望なんてたやすく言う。

けれど、洪水のような情報の流れに、ひどい政治の有様に、こころを動かしつづけること。怒りやくるしさで、脳が茹で上がりそうになっても、なにも感じなくなるよりはずっとまし。だって、こころはぼくたちの財産だから。

こころがいっぱいになったら、情報から離れるのもいい。友人たちと、ラインで他愛もない会話をしたり、あってもしょうがないものを欲したり、あこがれたりするのもいい。1日じゅうネトフリ観てたっていい。ビール飲むのもいい。

そのすべてが、きっと抵抗につながる。抵抗ができるということは、すなわち希望を見据えられるということだ。それは、いま現在抵抗ができない人たち、沈黙せざるをえない人たちのためにもなる。いいことづくしでしょ。
とりあえずはそうやって、きっとろくでもないことが起こるにちがいない明日に備えよう。落ち着いたら、また元気で会おう。公園でピクニックをしよう。
その日をたのしみにしているよ」

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